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いわなが姫の丑の刻参り ブログトップ
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飛鳥京跡苑池と酒船石 [いわなが姫の丑の刻参り]

亀形石造物。
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もっと無機質ではない命名は
できなかったの?!
それはともかく
湧水を貯めて流すのに
いにしえの人はなんと手の込んだことを!

谷底の場所で
鑑賞するような構造でもないそうですが。

朝の明日香村。
もう水に落ちたように全身汗にまみれる盛夏に
観光客はいません。

隣接の丘の酒船石(さかふねいし)へ。
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どこからか持ってきたのか
ぽつんと取り残されているようにあります。

なにに使われていたのか
初めからこの高台にあったのか。
歴代の有識者は
もっともらしい持論を展開するものの
答えはありません。
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若輩のころ
ま!今は老害といわれていますが
松本清張の小説「火の路」に接して
ゾロアスター教を知りましたが。

「火の路」では酒船石で
ハマオ酒のような
麻薬を作っていたのじゃないかと推察します。

つまり早くから
ゾロアスター教が日本に伝えられ
天皇たちも帰依していたという
学術論文(!)を
松本清張は書きたかったのかと
私は勝手に思いましたが。

そもそも
酒船石とだれがいったのでしょう。
伝承なら!やっぱり
「酒」がどこかで関連しているのかも。

私は酒や麻薬製造の説は
納得いきかねますけどね。



丘を降りると田んぼが広がっています。
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向こうに
甘樫丘(あまがしのおか)があります。
この田んぼは飛鳥京跡(?)
飛鳥京とひとくくりに論じるのは乱暴かも。

ここ 20 年ばかりの発掘でみつかった池は
飛鳥京跡苑池とかいわれていますが
あら!?
休憩舎と便所ができていますね。
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橿原考古学研究所の
「飛鳥京跡苑池 第 13 次調査」の発掘現場。
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南北ふたつの池のうち
北池の一部
北東部の構造が解明されたとか。
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北東部は湧水部(!)
今は地表から 3.5m ばかり
下にあるそうですが。
私のシロート考えでは浅い!?

100 年あたり
0.3m も埋まっていませんね。
長期間!沼地や
田んぼが保護していたからかも。

湧水部の向こうに先ほどいた酒船石の丘。
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「高度のある酒船石は
「この庭園の噴水のための樋(とい)では!?

「そうだとすれば酒船石の水源はどこに」

「向こうの山から引いてくれば!

「それじゃ!直接ここに引けばいいのでは」

そうですね!
面倒な中継をする必要はないですね。

やっぱり!
サイホンの水路は発見されていませんか。

「あ!オープン水路では?!

「水はきても噴水にはなりません」

発掘している人に
幼稚な推察をいって汗顔の至り。



もう 1 度
亀形石造物のほうに帰り
「万葉展望広場」からながめてみますが
なにがなんやら!
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ヘタな考え休むに似たり。

広場の隣に「ASUCOME(あすかむ)」!?
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民俗資料館のある建てもの。
こんな名前でしたか?!
長い間きていないのかな。

「明日香村のちっちゃいショッピングモール」
だそうな。

でも 11 時のオープンまで
まだ時間があるので通り過ぎます。
と思いましたが
連日の徘徊で
足が急に悲鳴をあげるじゃないですか。

建てものの影の風通しのいい場所で
休んでいたらうつらうつら。

そのうち!ショッピングモール(!)が
オープンしてしまいました。

チャレンジショップというブースが
みっつありました。

明日香村で独立を目指す人が
2 年間!ここで実践学習するのだそうな。

そのひとつ
寝ていた私に声をかけてくれた
「tabi tabi」の
「スパイスカレー 4 種フルセット」を
いただきます。
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古代米のごはんですね。
税込 1,180 円。

目が覚める辛さはありません。
ま!頑張ってください。



(敬称略)
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新築尼崎城 幻の尼崎城 [いわなが姫の丑の刻参り]

尼崎城です。
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新築オープン(2019/03/29)時には
ごった返していましたが。
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わずか数日後なのに前からも
後ろから見てもさえぎる人はいません。
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石垣は新しく積みあげたもの!?
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なんという積み方!
コンクリート充填積み?!

城の内部に
私の興味があるものはありません。
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阪神電車が見えるくらい。
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江戸時代の人になりきり
写真を撮るほどはしゃぐ気もなく。
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10m ほどの大画面で勉強できますが。
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この映像の尼崎城の歴史は
大坂夏の陣で
豊臣家が滅んだ後から始まっています!?



「信長公記」によると
荒木村重が織田信長軍に追われて
伊丹有岡城から尼崎城に逃げ込んでいます。

信長の家臣だった太田牛一は
荒木村重に特別に配慮(?)したのか
大変多くのページを割いています。

それゆえパラパラとめくるだけの
阿呆には複雑すぎて
さっぱり理解ができず
私なりの解釈は少々乱暴ですが。

荒木村重は
家族が皆殺しされるのも構わず
尼崎城に逃げ
尼崎では家臣を犠牲にして
花隈(はなくま)城に逃げ
その城でも家来を討ち死にさせて
さらに逃げて
ひとり生き延びたとしか解釈していません。

戦乱がおさまった豊臣秀吉の時代には
自由都市・堺で
なにくわぬ顔で生きていたのでは。

思い出しました!
そのあたりの歴史を
尼崎市立文化財収蔵庫で
レクチャーを受けたことがあったような。

詳細は全然覚えていませんがね。

今一度!文化財収蔵庫に行きます。
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工事中!
仮事務所に行ってみたものの
相手にされませんでした。はは。



よく考えたら空にそびえる天守閣は
天正(1576)の安土城からですね。

荒木村重が
信長に反旗を翻したのもそのころ。

豊臣秀吉が倣(なら)い
さらに壮大に建築し始めたとしたら
村重の逃げ込んだ尼崎城に
大きな天守があるはずもありません。

すると!その城は
今の尼崎城ではなく
阪神・大物(だいもつ)駅近くの
平城がそうかも。

大物駅の南にある
大物主(おおものぬし)神社。
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尼崎古城はこのあたりにあったのかな。

大物駅の北に
「大物(だいもつ)くずれの戦跡碑」が。
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1531 年!ここで戦いがあったらしい。
このあたりに
大物城があったからでしょうか。



(太田牛一著/信長公記/桑田忠親校注/)参照
(敬称略)
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三輪明神 箸墓 突いたのは箸か矢か [いわなが姫の丑の刻参り]

奈良県桜井市の
三輪明神 大神(おおみわ)神社の拝殿。
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「たまご?!どうして?」
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「巳(み)~さまにお供えですよ。

「え?今年の干支(えと)!巳?」

干支は関係ありません。
白蛇さまへ好物のお供えです。

今は三輪明神と呼ばれていますが
日本書紀では
大物主神(おほものぬしのかみ)かな。

倭迹迹日百襲姫命
(やまとととひももそひめのみこと)の
夫(?)の大物主神は夜だけ姿を現します。

姫は懇願します。
暗くてまだお顔を見たことがありません。
あなたのお姿を拝見したい。

大物主神は承諾。
昼間には
櫛笥(くしげ)の中にいるから見なさい。
ただ!絶対に驚かないこと。

夜が明けて
姫が櫛笥(櫛箱)を開けると
小さな美しい蛇(へび)がいたのです。

驚いた姫が声をあげたら
大物主神は三輪山に帰ってしまいました。

ここの神さまの
仮の姿のひとつは蛇なんです。



山の辺の道を北へたどり
桧原(ひばら)神社へ。

鳥居の向こうに二上山が見えます。
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春分の日や秋分の日には
その二上山の
雄岳と雌岳の間に日が沈みます。
信仰の対象になっていたのかどうか。

二上山に向けてくだります。

井寺池で振り返れば三輪山!
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三輪山を見ながら
桧原神社の前の茶店の
「桧原御休処」で買ってきた
かやくごはんをいただきます。
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「ホットワインを持参しました。
「香辛料は入れていませんから!どうぞ。
「たくさん飲むとススキの中で
「おしっこをするはめになりますよ。

「そんな人!いたの?」

そんな!おね~さんも 2、3 人いましたが!
おばさんも入れるともっといますが!
いえません!お名前は。



三輪山とこの井寺池とを結んだ先に
箸墓(はしばか)古墳があります。
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夫の蛇の姿を見た
「やまとととひももそひめのみこと」が
眠るところです。
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日本書紀では「ももそひめ」は
夫が逃げて行ったショックのあまり
腰を抜かしたときに
箸で「ほと」を突いて!
死んだのです。

「ほと」とは女性器でしょう。

だからこの墳長 278m といわれる
巨大な前方後円墳は
「箸墓」と呼ばれているのです。

「えげつな~!

可哀そうと思いなさい。
ま!露骨な直接的な表現ですけどね。

大市墓と書いてあります。
大市は地名です。
宮内庁が管理しています。
「ももそひめ」は
孝霊天皇の皇女!
孝元天皇の妹(姉かも)ですから。

しかし!この時代の最大級の墓が
天皇でも皇后でもない方のものとは!?

宮内庁の治定の問題はさておいて
卑弥呼の墓だから当然だ!と
昔からいわれていたそうです。
それが最近
土器編年や数理文献学等から
否定的な意見が席巻していますが。

まだ分かりません。
炭素 14 測定法などの
いくつかの新しい方法が
試みられるようになり
時代の比定が変化していますから。

なにがなんでも桜井市はここ
纏向(まきむく)遺跡を
邪馬台国だと主張していますけどね。

そもそも魏志倭人伝の伝える
「倭」とはどこからどこまでなんですか。

倭と邪馬台国の関係は!?

邪馬台国を「やまと」と読んだり
「大和」と同義語といったり
我田引水の百家争鳴の評価は。

邪馬台国はない!邪馬壱国だという人も。
「壱(壹)」と書いてあるのに
みんな「台(臺)」の間違いだと
都合のいいように解釈しているという主張。



「そんな時代に箸があったの!?」

日本の 3 世紀には
フォーク代わりのものはともかく
正餐(せいさん)にはなかったかも。
どこかで出土していましたか。

「じゃ!箸で突けないのでは?」

古事記では
時代はさかのぼり神武帝のころ。
美しい娘が
流れの上に造られた便所で
用をたしているのを知り
やはり大物主神が上流から
矢に化身して流れくだり
「ほと」を突いています。

それは「矢」です!箸ではありません。
なんと!娘は死んではいません。
はしょっていえば!後日!妊娠します。
あ!その生まれた娘が
神武天皇の最後の皇后のはず。

ともあれ古事記では箸墓は造れません。

日本書記は 8 世紀の頭の
その時代の風俗や用語で書いたのでは。

藤原不比等が
「箸」で食事をしながら
監修しているような幻想が見えます。

なんとなく古事記のほうが
この件に関しては正確さが上のような。



そんなおバカな考察をしていたら
日が暮れてきました。

急ぎましょう。
ススキの中で
おしっこをしなければならない前に。

「突かれたら!たいへんですよ!

「ヒロインになれるかも」

それには

「美しい人という!
「大前提がありますからね!

「ん?!どういう意味?」

「突かれるより!
「冬眠を中断されて怒った
「蛇にかまれるのが関の山でしょう。
「ま!玉の輿(こし)はあきらめて
「帰って焼酎でも飲みましょうよ!割り勘で。
タグ:古事記
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河内県庁を訪ねて八尾戎 八日えびす [いわなが姫の丑の刻参り]

ふしぎに要求があるので!
群れて行動を嫌う私がしぶしぶ
かりそめのリーダーになっている
寄せ集めのハイキングには
清楚なおね~さんは少ないけど
ただ発情しているだけの女性も少々。

大金持ちから!
たぶんその日暮らしの人まで!
その多様さはヒト動物園にいるようです。

どんなルートでここまでたどり着いたのか
ふと!ふしぎに思うことも。

各分野に造詣が深い人も多く
よく持論を展開されるのですが
「ああ!知っています」とか
「それには異論があるのでは」とかいえば
生意気ととられるのじゃないかと思ったり。

さりとて「へ~!」
「は~!そうですか」ばかり答えたら
延々と退屈な講義(?)を
聞くはめになるし。
いずれにしろ
人嫌いは対人恐怖症のまま。

ある日!歴史好きな人が
廃藩置県後の
大阪府の錯綜状態を教えてくれたのですが
旧河内国と河内県の関係に
錯誤を感じましたが!黙って拝聴しました。



今日は急きょ!近鉄八尾駅で下車。

「河内県庁」を訪ねます。
もちろん!県庁跡ですが。

駅前に立てば初めて見たような光景。

ここには大昔から
年に 1 度以上きているはずなんですが。

思い出せません。
頭の中!ホワイトアウト。
西も東も分かりません!

歩きます。
プリズムホールにあたりました。
頭の中の南北が逆転しています。

線路を越えて逆方向に歩いてみます。
でも!ホワイトアウトは変わりません。



幅員のない路地に迷い込めば
しゃれた祠(ほこら)のお地蔵さま。
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「南無大師遍照金剛」?
弘法大師ですかぁ!

初詣のときは過ぎたのか静かな八尾神社。
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本殿の前!左右に紅梅と白梅がきれい。
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あ!造花ですか。
よくできていますね。

ここは!?
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記憶にあります。
なん度もきています。
「河内音頭」の碑があります。
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常光寺ですね。
しかし!
ここにどこからきていたのでしょう。



常光寺から暗いアーケード街へ。
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とりあえず進めば
つきあたりに香具師(てきや)の露店が。
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八尾の八日戎ですか。

西宮神社や今宮神社の
十日戎(とおかえびす)と
おなじような縁日です。
blog58八尾戎.jpg

「八日戎」はどう読むのでしょう。
ちなみに近所の山阪神社の「八日戎」は
「すえひろえびす」といっています。

境内に流れるお囃子は
「やおえびす」とばかりいっているような。

この日(2019/01/07)は宵宮の日中!
人出はまだ少ないですね。
blog59八尾戎.jpg

左の建てものに「八尾戎神社」
右に「八尾天満宮」と書かれています。

八尾天満宮の前に落書き!?
いや!失礼!願いことを書く?描く!?
ボードがありました。
blog60八尾戎.jpg

面白い。



八尾天満宮に接しているふしぎな建てもの!
blog61八尾御坊.jpg

寺院ですか!?
大信寺!
八尾御坊ですね。

鐘楼もユニーク。
blog62八尾御坊.jpg

ここですね!河内県庁があったのは。

明治新政府は県庁を
特に寺社領だったところには
御坊に置いていたような!特に関西では。
浄土真宗の寺院は
大きな建てものだったのでしょう。

境内の梅林に
「河内県庁跡」の碑がありました。
blog63河内県庁跡.jpg

明治 2 年(1869)1 月 20 日河内県誕生。
同 4 月 22 日にここに役所が移され
同 8 月 2 日河内県は堺県に吸収され消滅。

8 か月に満たない命の河内県でした。

手元の年表をめくると
明治 2 年 1 月 20 日といえば
薩長土肥が
「版籍奉還」の上意を提出した日。

諸藩もその日に合意したとは!?
私には考えられませんが。

さらに年表には
廃藩置県が
明治 4 年 7 月 14 日(1871/8/29)!?

頭の中がまた違うホワイトアウト!
整合性を見出せません。

やめます。
もし!また!わがグループの有識者に
議論を持ちかけられても
やっぱり!「ごもっとも!」
「お説ごもっとも!」と
うなづくだけにしましょう。



忙しい身(ウソついてすみません)
とぼとぼ引き返せば
午後の 1 時はとうに過ぎているのに
たいそう忙しそうな喫茶店が。
blog64ライラック.jpg

おいしいのでしょうか。
「ライラック」に入店。

たくさんのオムライスの
メニューがありましたが
「豚肉と揚げ茄子の味噌炒め」を
指が勝手に(?)指してしまいました。

結果!私好み!おかずがいっぱい。
blog65イラック.jpg

ごはんが進みます。

ごはんとスープが
「お代わり可!」だったようですが
教えてくれないから!しませんでした。

それでも損した気分にはなりませんでした。
税込み 750 円。
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幻の摂津鉄道 恐竜伝説 [いわなが姫の丑の刻参り]

阪急(能勢電鉄)の川西能勢口駅と
JRの川西池田駅は
近接していると知ってはいましたが。

どの分野でも
全体像を把握することができない阿呆で
阪急に乗ったら阪急の駅の周囲だけ
JRを利用したら
JRの駅の付近だけ認識しています。
私の脳裏につながりはありません。

今日はいいランチはないかと
阪急から南に出て彷徨していたのですが。

あ!いいランチとは
安い!量がある!ということだけが
私の定義ですが。あは。

阪急とJRとが陸橋で連絡していました。
それも長い空中通路です。
5 分くらいかかりそうですが
屋根つきです!すごい。

ふと!思い出しました。
能勢電鉄に
国鉄前線という線路があったのでは。

川西能勢口駅と川西国鉄前駅を結ぶ路線。

もしかして!
今歩いている陸橋の下がそうなの?!

調べる術(すべ)もあまりないのですが!
全然重なりはないようです。
それに阪急の駅も国鉄(JR)の駅も
現在の場所とは少しずれているのでは。



結局!阪急(および能勢電鉄)の
川西能勢口駅にもどり
この周辺では唯一知っている!
知っているといっても
行ったことがあるというだけですが!
北側のビルのモザイクボックスへ。

地下にもぐり
午後 2 時を過ぎてしまったので
「ごはん処 大戸屋」で妥協します。
blog01大戸屋.jpg

「鶏と野菜の黒酢あん定食」!
blog02大戸屋.jpg

税込み 880 円とは!
初めの想定値から上にずれていますが
おいしかったから!あきらめますか。



廃線は他にも。
摂津鉄道跡があるはず。

川西能勢口駅から東に
猪名川近くに「摂津鉄道」の北の端の
池田駅があったのでは。

あ!明るい場所が。
blog03.jpg

鉄道跡かなにか分かりません。
ただの公園かも知れません。

駅があったのは
明治の中ごろのはなしですからね。

摂津鉄道は川辺馬車鉄道が
牽引を馬から
蒸気機関車に変更した後の名前らしい。

川辺馬車鉄道は
尼ヶ崎(尼崎か尼ケ崎かも)から伊丹間の
営業キロ数は 8.3km だったとか。

蒸気機関車になってから
池田まで延長したのでしょう。



その鉄道はどこへ行ったのでしょう。

ふと「恐竜」のように思えました。

ニワトリの顔を見ていると
恐竜の面影があるような。

絶滅なんかしていないのでは。
ちゃんと
鳥に姿を変えて生きている!?

摂津鉄道は
阪鶴鉄道に買収されていました。

阪鶴鉄道は買収後
路線を北へ!北へ!
日本海に向けて延ばしたのですね。
福知山までは行ったようですが。

その「恐竜」のような古い鉄道は
今!JRの
福知山線と姿を変えているのでしょうか。

「鳥」はいるようにも思えますが。

阪鶴鉄道は池田と大阪間の鉄道路線も
計画していたそうな。

その計画線が今の阪急・宝塚線!?
阪急の事実上の生みの親の小林一三は
阪鶴鉄道の役員だったらしい。
おぼろに「恐竜」の系図が浮かびませんか。

脳裏には浮かぶのですが
なんにも見つけられませんね。
120 年前のできごとですからね。



猪名川沿いに
遊歩道が整備されているので
少し上流に向けて歩きます。

コンクリート製の斜張橋としては
日本一と自称している新猪名川大橋。
blog04ビッグハープ.jpg

「ビッグハープ」という愛称のほうが
通りがいいですが。

恐竜の!いや!竜のしっぽ?!
blog07ビッグハープ.jpg

竜のしっぽに見立てています。
なぜなら!このあたりには
「竜」の伝説や逸話が多いからだそうな。

わ!これも竜!?
blog05加茂井堰.jpg

竜が水をせき止めているような加茂井堰!

どうして丸いの?!
blog06加茂井堰.jpg

土石や
コンクリートのダムではないですね。
ゴムびきの布に空気を入れて
ふくらませているらしい。

日本各地に九頭竜伝説があるようですが
この地は清和源氏の祖の
源満仲が退治したことになっています。

猪名川があばれたら
満仲が現れて
この堰を断ち切ることになっているのかも。
少しの切り傷だけでしぼみそうです。



(新潮社発行/日本鉄道旅行地図帳/参照)
(敬称略)
タグ:廃線
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