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地下の文化創造の場?アートエリアB1 [わが街・大阪ブギウギ]

土佐堀川にかかる
栴檀木橋(せんだんのきばし)を渡ります。
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栴檀の木はなん代目かでしょうけど
親柱はいつごろのものでしょう。

左岸から右岸!
つまり北に渡れば
大正 7 年(1918)竣工の
大阪市中央公会堂。
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土佐堀川の上流には
難波橋(なにわばし)があります。
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橋の 4 隅にライオンがいます。
結構大きなライオン(像)です。
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土佐堀川越しに見れば
そのうちの 1 頭と
五代友厚とが仲よし(!)だとか。
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「五代さん!夏でっせ」
「暑苦しい洋服!脱ぎなはれ」

「きみもたてがみをカットしたらどうや」

「たてがみを切ったら獅子の男は」
「“おねぇ”になってしまいまんねん」
「人間の“おかま”は髪を伸ばしますが」
「獅子は逆ですわ」

と!はなしているようです。

ん!?
五代は薩摩藩士出身!
ライオンは大正時代には
日本出身はいないでしょうから
ふたりはどんなことばではなすのやら。



大阪市中央公会堂の東側はすっきり。
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こんなにさっぱりしていた
風景を見た記憶がないのですが。

この地下に
京阪・中之島線のなにわ橋駅。
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カネをかけた建築ですね。
ムダにカネばかリかける設計が
もてはやされるのですね。

なにわ橋駅の地下 1 階に
「文化・芸術・知の創造と交流の場」とかいう
「アートエリアB1(ビーワン)」がありました。
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そこで今日(2019/06/18)は
「プロジェクトミーティング」!?
「これからの自然科学・博物館と市民」が!
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「自然史」の単語の歴史を知りました。

「Natural History」(ナチュラル ヒストリィ)を
明治時代から「博物学」と訳して
使っていたのですか。

1974 年から「自然史」ということばを
誕生させた!?

そのくらいです。
ぼんやりの頭に入ったのは!はは。



熱心な人たちばかりで
予定時間をオーバーしたらしい。

外の出ると
大阪市中央公会堂が
意外にきれいに夜に浮いています。
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アーチの屋根の上に不純異性交遊のふたり?!
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淫らなことはしていませんね。
おふた方とも神さまですから。

商業の神「メルキュール」と
科学と平和の神「ミネルバ」です。

科学の神さまが女神です。
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春風や堤長うして家遠し [わが街・大阪ブギウギ]

大川(旧・淀川)に架かる
毛馬橋(けまばし)を
右岸(大阪市北区)から
左岸(都島区)に渡ります。
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なんとなく卑猥(ひわい)です。あは。

「ももだに(桃谷)から
「しりいけ(尻池)に回って
「けま(毛馬)の
「こうもん(閘門)に行ってんか

みんなこのあたりの地名なんですが
「知らんタクシーの運転手にいったら」
「怒りまっせ」と噺家(はなしか)の
亡き露の五郎兵衛師匠の弁。

地理に疎い運転手がいるとも思えませんが。

この橋は日本最初の連続合成桁橋!
と!説明されたこともありますが
なんのこっちゃ!抹茶に紅茶。

上記のお色気ばかり記憶に残り
橋の構造にも歴史にも
なんの興味のないものには
馬の耳になんとかやら。
すみませんでした。



渡ったらすぐ蕪村公園。
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もちろん!与謝蕪村を顕彰する公園。
蕪村はこの近くにあった
毛馬村(けまむら)の出身です。

自筆の「春風馬堤曲」が掲示されています。
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几帳面な字ですね。

これは近代詩だと
(たぶん)写生主義の立場から
正岡子規は賞賛したのですね。

近代詩とは認めるが抒情詩人だと
子規に反論したのは萩原朔太郎でしたか。

いずれにしろ多くの詩人俳人が
高く評価しているようですが。

発句(俳句)と漢詩と漢文体と混合した詩。
詩といっていいのですかねぇ。

詩の内容は
奉公に出ていた少女が「やぶいり」で
うきうきと堤を歩いて帰郷する
心情を詠っています。

これは少女に仮託した
蕪村の「心」だという人ばかり。

「やぶいり」は旧暦の 1 月と 7 月です。
この詩の少女は春の暖かさの中にいます。
蕪村が
現実に遭遇したはなしじゃないのでは。

朔太郎のいうように
蕪村の俳諧の本質の「郷愁」が
作らせた詩(?)のような。



19 か 20 歳のときに故郷を出奔した蕪村は
生涯ただの 1 度も
帰郷したことがないと聞きましたが。

大坂にやってきたり
近所を通過していたり
晩年には京都に住んでいたのに
毛馬村には帰っていません。

中国には望郷の
悲痛の漢詩があまたありますが
それは帰りたくても簡単に帰れないほどの
遠い異国の地でしのんでいるもの。

蕪村の立場とは違うような。



大川の堤を歩けば
ほどなく毛馬閘門(けまこうもん)です。
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淀川から分流しています。
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このあたりの水底に
明治の終わりの淀川大改修まで
蕪村の故郷の毛馬村があったそうです。

淀川の堤防上に
「蕪村生誕地」の碑と
「春風馬堤曲」の中から抜いた
「春風や堤長うして家遠し」の
句碑があります。
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「はるかぜや つつみなごうして、、、」と
読みたい人が多いのですが
五郎兵衛は
「つつみ」じゃなく「どて」と読まないと
大坂(大阪)弁に
そぐわないといっていたような。
そうしたら 7 音になるので
8 音よりは正調かも。

それは私が勝手につけたい(?)りくつ。
「どて」に別の意味を持たせたいのですね。

ももだに!しりいけ!から
どて!
さらに!けま!こうもん!が正しい?!

「毛馬」とは妙?!
でもなんでもなく
淀川のデルタの草木を「毛」と呼んだ!?
そこへ馬の放牧?!

デルタぁ!?
毛~!馬~?!
あらたに妖しげなものが加われば!もう
浅学にして理解不能です。

近いうちに
この方面では人後に落ちない賢姉・大兄に
場末の居酒屋あたりで解説願いましょうか。



淀川左岸をさかのぼります。

河川敷に絵に描いたような整った木が!
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洪水がなん度も襲う場所なのに。

ふと!ボードレールの詩を思い出しました。

「きみの最愛のものは父か母か

「父も母もないよ

「友か

「そのことばを知らない

「祖国か

「地上いずこにそれがあるか

「美女か

「女神のようにつつましく不死の美女なら

「金か

「ぼくはそいつをにくむ

「そんならきみはなにを愛するのか

「ぼくはあの雲を愛する

そうだ!
蕪村の故郷はあの空の向こうにあるのだ!
なんて阿呆は思います。

現実の故郷に帰っても
あの日の故郷じゃない!
かえってあたためている故郷像が崩れる!
と思ったのじゃないでしょうか。

私もボードレールの詩に同感です。
祖国は!故郷は
胸の中だけで輝いていればいい!
そんな思いで義理を欠いて生きています。

義理を欠くというより
はじかれているのでしょうけど。



赤川鉄橋(淀川橋梁)は
歩行者は渡れなくなっています。
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あ!そうだ!
渡れなくなる寸前にここにきていましたね。
拙ブログ 2013/09/15

渡るのなら上流の
菅原城北大橋まで行くことになりますか。
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目をこらすと
赤川鉄橋を
客を乗せた電車が通っています。
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今まで!といっても 5 年前までは
貨物車と歩行者専用の橋だったのですが。



(ボードレールの詩は)
(堀口大学訳を勝手に縮めています)
(敬称略)
タグ:正岡子規
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大野川くだれば おはぎ食べたし [わが街・大阪ブギウギ]

「八丁橋」と書いてある交差点。
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大阪市西淀川区歌島二丁目あたり
阪神高速道の下。
まぶしい南に向けば
とうとうと大野川が、、、。
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流れていませんね。
1972 年に埋められて遊歩道
「大野川緑陰道路」と改名されています。

ちなみに北へは(上の最初の画像)
クスノキの道が少しあるものの
それから先は杳(よう)として霧消。

だいぶ北のほうには
蛇が腸ねん転を患っているような
くねくねと流れる神崎川。
そこから分流してきていたのでしょうか。

南へ(南西かな?)に歩きます。
クスノキが並んでいます。
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中に 2 レーンの自転車道。
両外側に歩行者道 2 レーン。

わ!痛そう!
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足つぼの刺激!?
「自然浴さんぽ路」だとか。

よく分からない少女像。
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なんのレリーフ?!
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4 月半ば!散り残る桜。
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今日もまっとうに生きていない
私ひとりが浴びるのは
もったいないような桜吹雪。
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あら!?
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またまた奇妙な遊具。
いろんな
ストレッチなんかをするものらしい。



この遊歩道は
今までに細切れで訪問しています。
全コース通しで
歩く気になったのは初めてです。

先日!見かけたふしぎな(失礼!)商店。
そのときには某お大尽と同道していたので
通り過ぎましたが。

ああ!ここ「こまめ商店」!
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おはぎ屋さん?!
パン屋さん!?
おはぎのパン?!

どうでもいいけど!
この自転車の客(おばはん)は
堂々と狭い入り口の前に停めましたね!

こんな人には
道徳を口で教えても!まず無理でしょう。
ぶんなぐってしつけなければ!
「体罰はんた~い!」の世!はんた~い。

おはぎは売り切れなのか!ありませんでした。
あんこの入ったパンと
あんことクリームのはさんだパンを
買いました。各税込み 120 円。
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リュックに入れて歩いたら変形しましたが。

ん!?
もしかして
「こまめ商店」の「こまめ」は
「小豆」のことでしょうか。



電車が越えて行きます。
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阪神・なんば線かな。

大野川緑陰道路は鉄道や道路とは
全部!立体交差しています。
直接ぶつかるところはありません。
もともと川だったのですからね。

完全に埋め立てられているのでしょうか。
暗渠(あんきょ)になって
流れているのでしょうか。

阪神・なんば線を越えてからは
歩行者道と自転車道は
各 1 レーンになりました。

松がたくさん現れてきました。
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終点です。
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全長 3.8km とかいいますが
65 分かかっています。
体!不調です。



横の道にかけあがると!
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淀川!几帳面にいえば新淀川ですね。
こちらは右岸。
もう少しで大阪湾でしょうか!?
堤防をくだります。

すごいですねぇ!
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コンクリートでかためた護岸工事を
していないじゃないですか。

逆光なので振り返って見る西島水門。
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荒磯風ですが
コンクリート製の消波ブロックなんかは
使っているんですね。

「潮だまり」をたくさん造っています。
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ん!?
逆光の中!にゃんこがきました。

私はあんパンを食べたので
残っていたおにぎり(ツナマヨ)を
海苔を取ってあげましょう。

喜びませんね。
ま!ゆっくり考えてからお食べなさい。

堤防を 30 分ばかり歩けば「果て」に着きました。
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ここから先は大阪湾でしょうか。

広い芝生の丘。
矢倉緑地というらしい。
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丘の上のしゃれた建てものは
トイレでした。



引き返せば
にゃんこもおにぎりも消えていました。

そのあたりに海鳥のらしい糞がいくつか。
おにぎりは鳥が食べたのでしょう。

しばらく歩いていたら
キャットフードをもらっている
にゃんこたちに遭遇。
焼き鳥みたいなものももらっていました。
これでは
おにぎり!食べませんよね。
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伝法大橋 ホルモン焼きのランチ [わが街・大阪ブギウギ]

阪神・伝法(でんぽう)駅近くに
澪標(みおつくし)住吉神社がありました。
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澪標とはこれ。
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1,200 年前に遣唐使の帰路を迎えるために
水路に立てていたとか。
今は大阪市の市章ですけどね。

向かいにすごい洋館(?)があります。
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旧鴻池本店!?
明治 43 年(1910)建設。

隣接の日本風の豪邸は旧本宅。
本宅も同時期の建設とか。

少し南の川の堤にあがり見降ろせば
(変な表現ですが)すっきりした神社。
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鴉宮(からすのみや)だとか。
3 本足のカラスの伝説があります。
どこかでも聞いたことのある
八咫烏(やたがらす)ですかね。

ところでこの川は川!?
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水はどこ?!埋め立てられています。

橋の親柱に「もりすばし」!
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漢字表記は「森巣橋」ですか。
橋のたもとの鴉宮の八咫烏の巣!?

鴉宮にもどり案内板を見れば
ここ伝法村に
最初に建立されたときには
「傳母頭(もりす)神社」だったそうな。
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そのころの村の名前が「傳(伝)母村」
「でんぼ」村だったという人もいます。

だからといって
「傳母頭」の「頭」はなんですか。

それより
「傳母頭」を
どうしたら「もりす」と読めるの!?

「でんぼ」の「あたま」といえば
大阪人は
「でんぼ(吹き出もの)」がいっぱいの
「頭」を想像するようですが。



引き返せば
澪標住吉神社のそばで肉を焼く匂い。
「ホルモン焼 仲宗根商店」ですか。
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ホルモン焼き 100g (税込み 180 円)と
カレーコロッケ(税込み 80 円)を買い
伝法公園でランチ。
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桜(ソメイヨシノ)の花吹雪の中。



伝法大橋を渡ります。
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長い!

「私がこのあたりに勤務していたころは」
「大阪一長い橋でした」と
1 週間前に偶然いっしょに反対側から歩いた
ハイキング仲間のご老体がいっていましたが。

765m ですか。
下流側に並行して架けられている
新伝法大橋でも 860m なら
私がときどき歩くことのある
「なみはや大橋」は 1,740m ですけどね。

後からどんどん長大な橋が生まれますが
伝法大橋は 80 年前の竣工ですよ。
落ちないもんですね。

先の戦争時にも
「ロンドン橋!落ちた!」
(London Bridge is broken down)のような
歌はできませんでしたか。

不謹慎な発言!すんません。

ここは新淀川の河口付近。
潮風が強いのか!
古いからなのか!メンテの問題なのか!
錆が目立ちます。

上流側に並行する
阪神なんば線の鉄橋も落ちそうな色?!
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またまた不謹慎な発言!すみません。

阪神電車と近鉄電車が神戸・奈良間を
相互乗り入れしているからか
いろんなデザインの車両が行き交います。
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あなぐま亭でランチ 大阪七福神めぐり [わが街・大阪ブギウギ]

額縁が 3,000 円。
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大阪七福神だそうな。
でも!これだけ御朱印をもらうには
3,000 円ですまないのでは?!
中の色紙は見本?!
印刷?コピー!?

じっとしていたら寒いけど
天気晴朗!
自分の足だけで「七福神」を回れば
これ以上寒くはならないはず。

たまたま目前に
四天王寺の布袋(ほてい)堂がありました。
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「乳布袋(ちちほてい)」さまがおわします。
布袋さまの「乳房」が
どうというのじゃなく
ここに聖徳太子の乳母を祀っていた
なにか(?)があったからだそうな。



逢坂(おうさか)をくだります。

通天閣を左に見て過ぎれば
ふしぎな名前の学校!
「大阪市立恵美小学校」がありますが。

今宮戎(えびす)神社が近くにあり
このあたりの地名は「浪速区恵美須」かな。
では「えびす」小学校にならないのですか!?
「す」はどこに行ったの?!

もっとも今!いつ通っても静か。
廃校になったのでしょうか。

学校の前に入りにくそうな居酒屋。
「あなぐま亭」!
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「昼飲み」ができる店らしい。

ランチがあるようなんですが
入店すると
「あなぐま」か
「ひぐま」のようなおじさんがいて
怖い顔で「酒を飲め!」と
脅迫されるんじゃないかと
気が弱い私はいつも
前を急いで通り過ぎていたのですが。

おとなしそうな
若いカップルが入って行きました。

恐いところでもないのかな。
正午前です!つづいて入店。

ん!?
ひぐまはいませんでした。
気さくな若い女性がふたり。
ほっ!

「豚なんこつ とろとろ煮」をもらいました。
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ホント!とろとろ。
他に惣菜が 2 品!
ごはんがおいしい!といったら
お代わりしてくれて 680 円(税込み)。

なかなかいいところじゃないですか!



七福神めぐり!忘れるところでした。

では行きます!今宮戎神社。
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どこに
「えびす」さまがいるのか知りませんが。

大國主神社の大黒さま。
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大国主と
大黒神はおなじ神さまなんですか?

細かい疑問はうっちゃって
大乗坊の毘沙門天(びしゃもんてん)へ。
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道頓堀を渡って
法案寺の弁財天。
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長久寺の福禄寿(ふくろくじゅ)。
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坂の途中にある真田山小学校は
きれいな石垣の上。
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あれ!?
寄りかかったら
「ポコ!」という感じ?!

石垣ではなく石貼り!?

真田幸村の抜け穴という穴がある
三光神社。
blog71三光神社.jpg

ここには寿老人。
blog72大阪七福神.jpg

そうです!
こんな風に外に立って
善男善女を(私は該当しないかも)
迎えてもらいたいもの。



これで七福神!ぜんぶ回ったかどうか。
あんまり楽しいコースではないですね。

ランチはおいしかったのですが。
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