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わが街・大阪ブギウギ ブログトップ
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大阪夏まつり 愛染さんに異変!? [わが街・大阪ブギウギ]

大阪に夏がきました。
夏まつりの季節がきました。

あい(愛)すみ(住)ません!です。

愛染まつりの宵宮(6 月 30 日)から
住吉まつりの神輿渡御(8 月 1 日)まで
1 月間あちこちで催されます。

愛染まつりの
愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)は
四天王寺の支院!仏教寺院です。

住吉大社はもとより神社です。
寺院と神社の行事を
いっしょにして数えて!いいの?!
神仏分離と明治政府はいいませんでしたか。

いいんでしょうね。
庶民は神と仏を明確に区別して
信仰していないのです。
そもそも
信仰あつくまつりをしているのかどうか。
すみません!
それはみんな私のことですけど。

そして今日 7 月 1 日は
愛染まつりの本まつりです。

大阪市の高台を南北に走る
谷町筋の西側歩道には例年!
香具師(てきや)のサンズン(露店)が
おしくらまんじゅう!

あ!?
blog01愛染祭.jpg

おしくらまんじゅうもなにも
まったく!全然!いません。

寺の前の「愛染さん お詣り口」の
のぼりの下もひっそり。
blog02愛染祭.jpg

「愛染さん」というのは
今日は「愛染まつり」を指すのですが
余談ですが「愛染さま」とはいいません。
大阪弁には「さま」がない(?)のです。
「さま」は
「さん」か「はん」に置き換えられます。
わざと
ぞんざいにいっている訳ではありません。



「エラいことですよ!

露店業界(?)に詳しい
発情ぎみの!いやもとい!恋多き美人の
アラフォー(around 40)のねぇやに問うと

「新聞を読みなさい」

「東京スポーツですか!?

「一般紙!」

「あ!朝日も産経も
「最近!飲み屋のおじさん!
「ケチケチしていてくれません!

「自分で買って読みなさい」

買ってまで読むほど
私は活字が好きではありません。
さらに
主観だらけの報道にはヘドが出るもので。



おね~さんが新聞で得た知識では
「原典回帰」だそうな!今年から。
(原点回帰かな?)

「みんなで喜んで参詣する」という趣旨?!
ことばは明確でも
意味はもうひとつ理解できません。

信仰もなく!バカ騒ぎして
近隣に迷惑をかけることを
嫌っているのでしょうか。

それには

「屋台は 1 軒も出さない!

「愛染娘の公募はやめる!

理由は知りませんが
私からみれば
女の子のただただ性的魅力の
品定めみたいですからね。

「宝恵(ほえ)かごパレード中止。

「宝恵かご」というのは
もともと芸舞妓がお色気をふりまいて
乗っていたものでしょうか。



境内は本まつりの夕暮れというのに
落ち着いていました。
blog03愛染祭.jpg

「宝恵かご」はありました。
blog04愛染祭.jpg

こどもを乗せたりして。
記念撮影すればおしまい。

本堂の裏手の
聖徳太子創建!
豊臣秀吉再建という多宝塔は
本尊が開帳されています。
blog05愛染祭.jpg

善男善女が粛々とお参りしていました。
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うっとうしい舞洲 あじさいの咲くころ [わが街・大阪ブギウギ]

夢舞大橋です。
blog31舞洲.jpg

たぶん「ゆめまいおおはし」と読むのでしょう。
人工島の夢洲(ゆめしま)と
舞洲(まいしま)を結んでいます。

たぶん住民登録ゼロの島ばかり!
経済活動はなきに等しい!
島といい!橋といい!
壮大な税金無駄づかいの遺物!

朽ちて落ちるのを待つだけでしょうか。

この橋!うまく行けば(?)動くのです。
blog32舞洲.jpg

「いざというとき」には
大型船が航行できるように橋が回転のはず!
ときどき動くかどうか試しているようですが
うまく作動できないときもあるようです。

「いざというとき」が
あるのかどうか知りませんが
高い建設費や維持費をつかって
不確かなことをしているより
いざというときには
ダイナマイトで破壊する手もあるのでは。

市民をだまして遊んだ
政治屋(政治家にあらず)やら
行政の役人どもに反省の色はないようです。

死刑!

死刑はイケませんかね。
といって!その下の無期懲役なんて
屁のようです。
あまりのも乖離(かいり)していませんか。

私の感覚で刑の重さをいえば
死刑が 100 なら無期懲役は 10 くらい。
他の懲役は 1 か 2 くらい。

その間に
重労働 1,000 年までの刑罰を作りませんか。
悪い役人どもには
重労働 300 年くらいは科さねばなりませぬ。



以前は駆動部の上まで行けたはずなんですが
歩道はあるもののまったくの通行禁止。
いよいよなんのための税金橋やら。

舞洲の縁を歩きます。
シーサイドプロムナードと命名されている
500m ほどつづく板敷きのデッキ。
blog33舞洲.jpg

進めば板がシーソーのようにパコパコ。
blog34舞洲.jpg

まともに歩けません。

留め金がみんなはずれています。
板もボルトもなにもかも腐っていて
よいこは歩いてはあきまへん。

噴水池に噴水はありません。
blog35舞洲.jpg

樹木が育ってきてはいますが。
blog36舞洲.jpg

このまま自然にまかせていたほうがいいかも。



噴水池にそそぐ下の池を通り過ぎ
さらに上流の上の池。
blog37舞洲.jpg

ぽつりぽつりと
青いガクアジサイが咲いています。
blog38舞洲.jpg

わあっと咲いているのもいいですが
こんな植栽もきれいかも。

わあっと咲いています。
blog39舞洲.jpg

ホテル・ロッジ舞洲の
「あじさい展2018」
(2018/06/01 ~ 07/01)開催中。

1,500 株ばかりあるそうですが。

「ハートのあじさい」だそうですが。
blog40舞洲.jpg

よく分かりません。

ん!?
ここ!昨年もだれかときたような。
blog41舞洲.jpg

このホテルで
バイキングを食べたような!割り勘で。
ま!思い出さないほうが平和かも。はは。



新夕陽ケ丘に上ります。
blog42舞洲.jpg

「ちぎりあれば 難波の里に やどりきて
「なみのいりひを 拝みつるかな

藤原家隆(1158 ~ 1237)が
日想観を会得すべく
四阿(あずまや)で隠棲して詠んだ歌。

ま!おおよそこんな歌。
今!古今著聞集が手元にないので!
無責任ですみません。

大阪市を背骨のように南北に走る上町台地。
その四天王寺の西あたりに
四阿を建てていたんですね。

四阿のあった丘が
「夕陽丘(or 夕陽岡)」といわれています。

その当時!眼下にあった海は
今は見えません。

海がどんどん西に行っています。
埋め立てです。
自然破壊しています。

神を恐れぬ欲望の果てに
「新夕陽ケ丘」が造られています。

ながめはよくありません。
blog43舞洲.jpg

梅雨空のせいばかりでもないような。
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淀川にワンドあり [わが街・大阪ブギウギ]

大阪市の端っこ
守口市に接しているあたりに
「太子橋」という地名があります。

太子とは聖徳太子のことでしょうけど
この周辺は「豊里」だの「大宮」だの
聖徳太子に関係ありそうな地名ばかり。

「太子橋」を渡ったことがあったやら。

よく分からないまま淀川左岸。
blog41淀川.jpg

豊里大橋があります。

河川敷では早朝から
球を蹴っている男女の若者たち。
ご苦労なことです。

スポーツはするのも見るのも嫌いです。
運動能力が皆無なので競えば負けるから。

体力で劣っているのなら
勉学で人に勝て!と
幼い日に母がいっていました。
それから母とはこのはなしはしません。

母は宇宙人かも。
そんな荒唐無稽なことがいえるなんて。

努力してもムダなんですよ。
頭の中をカラカラと
年中木枯らしがすさんでいるものには。
頭の構造のいい人が努力すれば
人に勝てますけどね。

なんにも持ち合わせのないものは
なにもしないほうが省エネで平和なんです。
ま!平和に見えても
精神は病んでいますけどね。



朝食代わりにあんぱんを食べます。

ときどき!あんぱんを食べて
毎日!ウイスキーを飲めばしあわせです。

横に蝶がきました。
blog42淀川.jpg

飛び立つまで座っていますか。

足元を黒い毛虫が
つぎつぎ過(よぎ)るのですが
蝶はなかなか飛び立ちません。

あ!ヒバリが降りてきました。
blog43淀川.jpg

いや!ムクドリでしたか。

カメラを向けたら
鳥は逃げてしまいましたが
蝶は動きません。

しびれを切らして立ち上がれば
五月雨萩(さみだれはぎ)が咲いています。
blog44淀川.jpg

専門家のいう
サミダレハギかどうか知りませんが。

「淀川」!
blog45淀川.jpg

なかなかの書じゃないですか。
銘はないけど。



下って行けばワンドがあります。
blog46淀川.jpg

え~と!だれでしたやら。
あ!そうそう!
オランダ人のデ・レーケでしたね。

かれの監督で淀川に
粗朶沈床工(そだちんしょうこう)という
水制を施工したのですね。

木の枝や草のマットを作り
いくつも重ねたり!石を置いたりして
岸から川の中心に向かって
細長い半島(!)を造ったのです。

水を中ほどに集めて
蒸気船の航路を確保したかったのですね。
明治時代のはなしです。

16 世紀の閑吟集にあります。

「お堰き候とも堰かれ候まじや
「淀川の浅き瀬にこそ柵もあれ

(おせきそろとも せかれそろまじや)
(よどがわの あさきせにこそ しがらみもあれ)

ふたりの仲をさこうと画策されても
さかれませんよ
淀川の浅い瀬には
しがらみはあるでしょうけど
と!意味は平易に分かる歌ですが。

淀川の浅い瀬というより
洪水時には暴れるものの
ふだんの淀川の水位は
あまりなかったのでは。

そこでデ・レーケの登場になったのでは。

その半島(?)と半島の間が池になり
それをワンドと呼んでいます。

ワンドは平和の象徴!?
洪水が通れば川になりますが。



あれ!最近修築された水制 34 号は
石積みじゃないですか。
blog47淀川.jpg

下流の 35 号も。
粗朶沈床工じゃないような。
blog48淀川.jpg

いや!やっぱり下には
粗朶があるんですね。(クリックしてみて↓)
blog49淀川.jpg

基本的には
デ・レーケの時代と変わりませんか。
すごいことですね。

ワンドには魚種が豊富。

ちゃんと行儀よく
仲よしのおじさんが
釣るのを待っている鳥もいます。
blog50淀川.jpg

タナゴ釣りの人もいました。
小さな小さな仕掛けです。

「イタセンパラは釣れますか?

「釣ったらいけませんよ!天然記念物は」
「ま!まず釣れませんけどね」

つぎつぎに釣れているじゃぁないですか。

「外来種です!」
「タイリクバラタナゴばかりかな」



歩き始めたときには
クローバーの花の匂いばかりでしたが
なんですか!
百花繚乱(!)にむせ返ります。
blog51淀川.jpg

外来種ばかりですがね。

赤川鉄橋。
blog52淀川.jpg

併設されていた風爽やかな歩道は
今は通行禁止。

イタセンパラの発見した地。
blog53淀川.jpg

石碑がありますが
ここにワンドがあったのじゃないの?!
どこへ行ったの。



ん!?
太子橋を探しにきたのでした!
どこにあるのでしょうか。
暑い。



(閑吟集/浅野建二校注/)参照
(敬称略)
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四天王寺にはお不動さまがいっぱい [わが街・大阪ブギウギ]

四天王寺(大阪市天王寺区)の
いつもは経木流しで人の流れがある
亀井堂の前にタープが立っていました。
blog51四天王寺.jpg

そこは亀井不動尊です。
近畿三十六不動尊霊場の 1 番札所。

いつも水をかけられているので
苔で覆われているお不動さまです。

今日(2018/05/28)は
お不動さま(大阪弁ではお不動さん)の日。
「不動尊供」を催行しています。

この日だけ
後ろの石神堂の扉を開けて祈ります。
blog52四天王寺.jpg

聖徳太子が四天王寺を創建したとき
用材を運んだ牛が
石になって祀られています。
blog53四天王寺.jpg

のぞいて見ても
いいのかどうか知りませんが
みんな移動してだれもいなかったので。

石の不動尊でも「不動尊供」のお勤め。
blog54四天王寺.jpg

「不動尊供」の後に
護摩木を火に投入する
「不動尊護摩供」が行われます。



元三大師堂の墓地の隅の松尾芭蕉の墓参に。

大坂(大阪)で亡くなって
近江の義仲寺で眠る芭蕉ですが
大阪にもいくつか墓所があるようです。

あ!お堂の中の元三大師像の前に
不動尊がおわしました。
blog55四天王寺.jpg

お堂の人が
地蔵山にもいらっしゃるといいます。

明治時代に境内の石の地蔵尊 160 体を
集結させたらしい地蔵山ですが
最近!お地蔵さまが
どんどん増えて(?)行っています。

なるほど!その中心あたりにも不動尊が。
blog56四天王寺.jpg

ん!?
たくさんのお地蔵さまの中で
ただおひとかた(たぶん!)
逆卍の祠(ほこら)に
お住いの方がいましたが。
blog57四天王寺.jpg

どんな違いがあるのでしょうか。



境内を北から南に移動して萬燈院へ。
blog58四天王寺.jpg

ここにも不動尊が祀られていました。

たくさん!おわしますね。
まだ他にも!
大黒堂にもいらっしゃるといいますが。

ここの大黒堂の大黒天は
大黒天!毘沙門天!弁才天が合体した
三面大黒天ですが
不動尊の霊験はどうなんでしょう。

大黒堂に座して
しばらく目で探ったのですが
不動尊がどこにいらっしゃるのか
分かりませんでした。



四天王寺には
不動尊だらけということが分かりました。

無神論者のバチあたりが
日中に精進をさぼって
お不動さまの縁日に徘徊してどうします。
叱られないうちに帰ります。
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レモンサワーフェスティバル 堀江の今は昔 [わが街・大阪ブギウギ]

道頓堀川の深里橋(ふかりばし)の右岸に
加賀藩蔵屋敷があったそうな。
blog51道頓堀.jpg

加賀藩蔵屋敷は
淀屋橋近くにあったという説も。
たぶん!両方にあったのでは。

その跡地に明治の初め
議会議事堂が建設されたとか。
その後!日本倉庫!さらに住友倉庫と
倉庫群が並んでいたといいますが
もう!商業施設ばかり。

下流の吊り橋
浮庭橋(うきにわばし)で休憩。
blog52浮庭橋.jpg

管理経費を惜しまず草木を植えています。

左岸で
「レモンサワーフェスティバル」
「2018 in 大阪」(2018/05/10・11・12)を
催行しています。
blog53サワー.jpg

なんばHatch(湊町リバープレイス)の
階段を上がり見降ろせば
8 つのブースが見えます。
blog54サワー.jpg

ところで「サワー」とはなんですか。
「チューハイ」とどう違うのですか。

バイトらしい若ものに尋ねると
「ほとんどおなじです」
ほとんどねぇ?!

レシピ上はほとんど違いがないのかな。



でも「ほとんど」がくせもの?!

大昔!
小汚い(という人も 7 人はいた)酒場で
変態ぎみの酔客ばかりが
実のない議論していましたね。

「サワーは江戸のことば!」
「チューハイは浪速弁!」という説。

俵万智の江戸弁かヒョーズン語かの短歌。

「嫁さんになれよだなんて
「カンチューハイ
「二本で言ってしまっていいの

チューハイといっているじゃないの。

「ベースの蒸留酒が違うのじゃないの」
「焼酎のときのみチューハイでは」

ウオッカベースでもチューハイらしいけど。

「サワーは酸味のあることでは」
「柑橘類の果汁や」
「いろんな酢を加えたものがサワー」
「酸っぱくないのがチューハイ」

レモン片を浮かべただけのものは
どう呼んだらいいの!?



出店のひとつ
「宝焼酎」に試飲がありました。
blog55サワー.jpg

このベースはたぶん焼酎。
ま!深くは考えますまい!空腹になるだけ。

せっかくですから
パクチーの入った
レモンサワーをもらいましょうか。

げ!
700 円!?
やめます。
貧乏人はあきらめだけが人生さ。



川に並行して下れば
西道頓堀橋の北。
blog56.jpg

大阪電燈の西道頓堀発電所跡。
もっとも!それは明治時代のこと。
大正時代には
宇治川電気の道頓堀変電所があったそうな。
その変電所がなくなった後
レンガ造りの建てものは
倉庫に利用されていたとか。

今!見えるレンガ模様は
当時のものですか!?
そんな意匠にしているのですか。

北隣に難波神社の御旅所。
blog57.jpg

難波神社といえば「氷室祭」で有名ですが
そのときここに神さまがきていたらしい。

行列一行は
ここで「かち割り氷」を食べていたとか。

もうこんなに小さな境内になって
行列はこなくなりました。

西の南堀江公園。
blog58.jpg

勧進相撲が行われた場所だといいますが。

長年!
相撲の興行は禁止されていたようです。
世の中が落ち着いた元禄 5 年(1692)
大坂ではこの地から再開されたとか。

なんの証拠も発見できませんけどね。



道頓堀川を渡って!左岸を歩いて
「レモンサワーフェスティバル」まで
帰りました。

留守をしたわずかの時間に
客が無茶苦茶増えていました。

道頓堀川を観光船がさかのぼっています。
blog59道頓堀.jpg

深里橋から見ている人はいませんね。

明治 36 年(1903)
深里橋から下の船(巡航船)にめがけて
大勢の人力車夫たちが石を投げたそうな。

巡査や憲兵をも巻き込んで大げんか。
多数のものが道頓堀に落ちたそうな。

巡航船に客を奪われた人力車夫の
持って行き場のない怒り。

すぐに市電に客が流れ
巡航船も人力車夫とおなじ末路に。

それでも
「病葉(わくらば)を 今日も浮かべて
「街の谷 川は流れる

きみ知るや!仲宗根美樹の唄を。



パクチーレモンサワーが飲めなかったので
75 円の缶の
「酎(チュー)ハイレモン」を。
blog60サワー.jpg

パクチーの代用は!?
わが家にはサンショウ(山椒)の葉と
ヨモギ(蓬)の葉しかありません。

ヨモギの葉が
ハーブの仲間かどうか知りませんが。
よいこはマネをしないように!
クセが強いですよ。



(敬称略)
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