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大相撲!大阪場所見聞記 2019 [いずれ あやめか かきつばた]

朝の 6 時半前というのに長蛇の列。
215 番目ですか!
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「もうダメですね。

「大丈夫ですよ」

当日発売の自由席は
200 枚じゃなかったですか!?
今日は 240 枚だそうな。

大相撲三月場所(大阪場所)13 日目。
今週!月曜日から
満足に体が動いていません。
あちこちおかしいのですが
薬を飲むことは思いつかず
救急車を呼ばなくてもなんとかなる痛み。

5 日間も
倦怠感をいいことに沈んでいましたが
頑張らねば!ホントに死んでしまいそう。

それで早朝に努力!
並んでチケットを取る暴挙(?)に。
体にとっては迷惑なはなしでしょうけど。



そして 8 時半に入場できたのですが。
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場所前半のころと違い
13 日ともなると取り組みは遅い。

とりあえず!席を確保しておきます。
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劇場でも講演会でも授業でも
一番後ろの右端を好む習慣ですが
ここの自由席は半端な隅しか
あてがってくれてないので
北側の西のこの端が
その中でも該当するような。

引退した稀勢の里が立って(?)いました。
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みんなで寄せ書きですか。



することがないので外出です。

なんばパークスの丘(!)に
春がきていませんか。
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桜が咲いています。
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桜じゃないですね。
ベニバスモモかな。
昨秋の台風で
ベニバスモモの木が減りましたが。

千代の富士の手形があります。
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大鵬のも。
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今!マスコミをにぎわせている貴乃花。
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こちらも問題児の朝青龍。
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北の湖。
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亡くなった人が多いですね。



会場の大阪府立体育会館内の
「レストラン稲穂屋」に
「春場所風」のメニューがありましたが。
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どこが春場所なんでしょう。
第一!すごく高い(1,200 円)!?

いつもの体育会館前の道の向こうの
「ちゃんこの店 勝太鼓」へ。
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刺し身定食をもらいます。
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本日の刺し身はカツオのたたき。
そばかうどんかを選べます。

10 近くの昼定食がありますが
どれも税込み 600 円。
ちょっと値あげしていましたね!はは。



午後になると
関取の「入り待ち」の人だかり。
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エントランスにも大勢の人。
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観客が増えてきました。
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居眠りをしていたら幕内力士の土俵入り。
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白鵬の不知火型の土俵入り。
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鶴竜は雲竜型。
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横綱は
どちらかひとつに決めねばなりません。
両方の土俵入りをした横綱は
北の富士だけだそうな。

したくてした訳じゃないのでしょうけど。



呼び出しが俵の外の縁をはいています。
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蛇の目といいますが。

江戸時代から昭和の初めまで
俵が二重になっていたそうな。

呼び出しがはいているところは
その内土俵と
外土俵の間だったところらしい。

二重土俵は蛇の目に見えるのでしょう。

その蛇の目の砂に触れたら跡が残るので
勝負の判定に役立っているのです。



今回はあんまり館内を徘徊していません。

前回(拙ブログ 2015/03/21
拙ブログ 2010/03/23)と
そう違わないでしょうけど
力士の顔ぶれは大きく変わっているような。

西の支度部屋から逸ノ城が出てきました。
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逸ノ城はこの場所!調子がよくて
優勝争いしているのですね。
席に帰って見ましょう。

制限時間いっぱいになると
呼び出しが立ちあがって知らせます。
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昔は「よし!」とか「よっし!」とか
答える人が多かったそうな。
中には「ほいきた」とか
「ごっちゃんです」とかいう
ゆかいな力士もいたそうですが。

外国からきた力士が多い昨今。
今はなんといっているのでしょう。

そのとき!どの力士も
用意してきたタオルを所望します。

昔は特別汗かきの人だけ?!



いつの間にか
「満員御礼」がさがっています。
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そして結びの一番。
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その前に栃ノ心・鶴竜戦があったのですが
土俵下には
力士がいなければいけない規則らしく
栃ノ心と鶴竜が座っていました。

勝って残るのは気分がいいでしょうけど
負け残りの栃ノ心!
なんだかうつむき加減。
勝負の世界は残酷ですね。



(北出清五郎著/大相撲への招待/)
(石井代蔵著/真説 大相撲見聞録/)
(新潮社編/大相撲の世界/)参照
(敬称略)
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天神祭のドラゴンボート 寿司食いねぇ [いずれ あやめか かきつばた]

剣先の噴水が上がっています。
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中之島公園の先!通称・山崎ノ鼻。
大川(旧・淀川)がここで
堂島川と土佐堀川に分かれて流れます。

ときどき(計画的かどうか知らんけど)
水が出ています。
ま!むだな仕掛けです。

噴水があるところは天神橋です。
上流の天満橋からながめています。
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天満橋は二重構造の橋で
上の橋が日陰を作ってくれて
川風が途切れることもなく
日本一不快な大阪の夏も涼しく感じます。



今日(2017/07/16)は
はなやかな色の手漕ぎの舟がいっぱい。

「天神祭奉納 2017」
「日本国際ドラゴンボート選手権大会」と
長い文句が書かれたのぼりが
はためいています。

上流の天満橋から
天神橋までの 250m のコースを争っています。
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ごくろうさまです。

水の上は快適なのかな。
私は船酔いするでしょうけど。

細則は知りませんし
まったく興味もありませんが。
涼やかな舟もあれば。
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転覆するほど乗っている舟もあります。
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でも!なかなか転覆しないもんですね。
期待していてすみません。



ここは八軒家浜という港。
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昔!船宿が 8 軒あったそうな。

ここ大坂と京の伏見を結ぶ
三十石船の航路があったのです。

森の石松がその船の中で
「寿司食いねぇ!」
「江戸っ子だってねぇ!」といったとか
いわなかったとか。
浪曲じゃいっていますが。

映画の小道具では
「握り寿司」を写すことが多いそうですが
大坂や京ですから!それはいけません。

押し寿司や
箱寿司が適当なんじゃないんですか。

押し寿司や稲荷寿司じゃ
映画の絵にならないのかも知れませんが。

おなかが空いたので
橋のたもとのコンビニのローソンで
寿司を買ってきました。
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押し寿司も
稲荷ずしも握り寿司もありません。

「ツナサラダ巻き」と
「カニカマ巻き」のセットならありました。
これでは「石松」の映画が死にますな。
これはこれでおししいけど。
298 円(税込)もしましたよ。



しかし!今も船の往来は多いですね。
定期船もあるようですし。

その船の合い間を縫って
レースが催行されています。

水の流れは結構速い。
フライングしないものでしょうか。
「よ~い!どん」の前に動きそうですが。

ああ!
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橋の上からつないでいるんですね。

それを振り切って一目散!
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上でロープを持っている人を
川に引きずり込んででも
無視して走るのでしょうね。



上方落語の「三十石夢の通い路」は
頭のビスがなん本かはずれたふたり組が
京の伏見から乗ります。

伊勢参りの「東の旅」の中の
最後の噺(はなし)です。
ぐるりと旅して
出発点の大坂に帰るのですから!
京から乗ることになります。

中書島(遊廓の島)あたりで
船頭のなじみのお女郎が声をかけてきます。

その中のセリフに
「巻いた寿司もあれば」
「箱の寿司もあるで」
「立って食う寿司もすしすし」
というのがありますが。

昔から
「立ち食い寿司」の
イメージを持っていましたが
「蓼(たで)食う虫も好き好き」
ということわざの
だじゃれ!かぁ!

今!気づいてどうします!

こんなこと
瞬間に気づかないと!
相当!
日本語ができない人と認定されますねぇ。

日本語ができないというより
ただのバカですね。
今ごろ!ひとりで恥ずかしがって!
どうします!?
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藤井聡太四段 連勝つづく [いずれ あやめか かきつばた]

将棋棋士の藤井聡太四段が 28 連勝して
「号外」が出たのには驚きましたが。

たとえ!他の棋士が 30 連勝しても
号外は出ないでしょう。
将棋界にとってはいいことかも。

本人も大変ですが
すっかり敵役(かたきやく)扱いになった
対戦相手も大変です。

さらに!
28 戦の相手の澤田真吾六段の師匠の
森信雄七段が
当日の新聞に取り上げられていました。

いろんなところに影響(?)するんですね。

森は故・村山聖九段の師匠ということで
有名になりましたが。
聖の青春/大崎善生著/で
その師弟愛に感涙した人も多いはず。
10 人を越える棋士を育てた名伯楽も
複雑な思いでしょうか。



「将棋のプロは
「他のどんな世界のプロになるのより難しい

と!
故・河口俊彦八段が繰り返していましたが
たしかにそうかも。

日本に現役で 200 人いないでしょう。
(今ざっと数えたら 161 人かな?!)
たとえがおかしいですが
京都大学の教授数は
1,000 人を越えているでしょう。
日本の代議士(衆院)定数は 475 人。
宇宙を飛んだアメリカ人は 300 人強。

そんな最難関の棋士の中で
さらにタイトルを取るような人は
すでに 10 代で
トップレベルに達しているようです。

この世界では遅咲きは珍しい。
まず!ないということ。

中学生棋士は
在学中に確定していた渡辺明も入れれば
加藤一二三!谷川浩司!
羽生善治!渡辺明につづいて 5 人目。

いずれの先輩たちも
タイトル戦の常連になっているので
藤井聡太の将来が楽しみでしょう。



私はかねがね
「努力はムダだ!」ととなえてきています。

特別な才能を持っている人だけが
その道の努力をすればいいだけのこと。

野球が村一番うまいけど
日本のレベルではどうかという人が
努力の末
やっとプロ球団に入団できて
生涯にヒットを 1 本打ちました。
よかったね!パチパチパチ。
そんな「努力」が
好きですなぁ!日本の庶民は。

ムダです!
観客に失礼です。
おカネを取るのなら
天才が
努力の果てのプレーを
披露したらいいだけのことだと思います。



そんな厳しい将棋界で
やれやれ昇段!
プロ棋士になれた!と思ったとき
片八百長があって
ある人がどんどん勝ちまくって
内藤國雄九段は上がれなかったといいます。

1 対 1 の戦いですから八百長はやりやすそう。
本人は知らなくても
相手が負ける気なら負けられます。

田丸昇九段は
相手が腰折れしたように
負けてくれたことがあるそうな。

その人の嫌いなヤツが昇級しそうなので
それを阻止するために
おなじく昇級候補の
田丸の勝ち星を増やそうとしたらしい。

大相撲なんか本人が知らないところで
後援者や親方が
相手方にはなしをつけたりしています。

これなんかを片八百長というのでしょうね。

でも!そんな八百長でプロ棋士になっても
いい成績を残せるはずはありません。

内藤の昇段をじゃました人!
私が想定する人なら
三流のプロのまま終わっていますけどね。



天才・谷川浩司も
5 級から 2 級まで 20 か月かかっています。

全勝すれば 1 月に 1 級上がれる時代ですから
天才も試練だったようです。

評判の高い年少者に先輩たちが
「谷川をつぶす会」を結成!?
みんなで敵愾心をむきだしていたのですね。

藤井聡太にも
内部では穏やかではない人が多いことでしょう。

それがプロ!
全員!穏やかでないのがプロというものかも。

それらを
粉砕して進まねばならないでしょうけど。



ともかくムダな努力はやめましょうよ。
センスがないことからは
早く身を引きましょう。

勉強できないヤツは勉強するな。
音感の悪いヤツは歌うな。
かつらむきができないヤツは板前になるな。

あきらめだけが人生。
藤井聡太の活躍を見てそう思った
なんのセンスもないひねくれものです。



(河口俊彦著/一局の将棋に一回の人生/)
(内藤國雄著/自在流人生/)
(元・大鳴門親方(高鉄山)著/八百長/)
(田丸昇著/将棋界の事件簿/等を参照)
(敬称略)
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大相撲!大阪場所千秋楽 2017 [いずれ あやめか かきつばた]

大相撲三月場所千秋楽(2017/03/26)です。
早朝 6 時 15 分です。

大阪府立体育会館です。
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あれ!?
また!表札(!)が変わっています。
「エディオンアリーナ大阪」とか?!

大阪府立体育会館という
本名(!)でいいと思うのですけどね。

府の命名権商法ですか。
公共性も矜持(きょうじ)もなく
1 部の商人の顕示欲に利用させるような政策!?
まるでうわべだけ売って心は売らない
あざとい売春商法(?)じゃないですか。



大阪場所が現行のように本場所になったのは
昭和 28 年(1953)からでしょうか。
それからずっと
ここで開催されているのでしょうか。

改装のため
1 回だけ大阪市中央体育館を使ったようですが。

通天閣の下に
「大阪国技館跡」の石碑があります。
丸屋根のきれいな建てものだったそうですよ。

でも!それは
大正の大阪相撲時代のことですよね。

東京と大阪の大相撲が合併した後
昭和 12 年(1937)
今のJR鴫野駅(大阪市城東区)の近くに
大阪大国技館(通称・大阪関目国技館)を
造ったそうな。

「大」の字がついているのは
当時の両国国技館より
キャパシティが上だったからかも。

大阪大国技館では準本場所が興行されていますが
そんな場所ですので
力士は東京の本場所以上に力が入ったそうです。



「稀勢の里」人気で三月場所のチケットは
1 月中に完売しています。
自由席券 200 枚は当日しか発売されません。

それを買いにきたのですが。
並んでいる人は
案外!少ない!?
搬入業務のくるまの影?!

わ!
体育館沿いに横に曲がったら!
この時間に!この長さ!
尋常ではないですね。
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私が目安にしている(200 人めの)電柱から
2 本ばかり電柱を数えます。
300 人近く並んでいるのでは?!

もう!無理ですね。
帰りましょう。
みなさんもお帰りなさい。

といえば十数人は帰り出しましたが
「無駄でも!」と帰ろうとしない人ばかり。



昭和 12 年(1937)の
大阪大国技館の杮(こけら)落し準本場所では
昭和の角聖・双葉山も取っていました。

「双葉山」とは
3 年間負け知らず
69 連勝の記録で
今も「相撲の神さま」と
崇(あが)められたりしていますが
87 連勝だという指摘もあります。

大阪と名古屋の準本場所を
現行のように
本場所として考えるとそうなるらしい。

つまり!
昭和 11 年(1936)年から
昭和 14 年(1939)年の間
東京本場所の成績だけでいいとこ取りで数えると
69 連勝。

同じ期間
東京本場所と
地方準本場所(大阪と名古屋ですが)を
いっしょにして
いいとこ取りで計上したら 87 連勝!?



あ!
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列の先頭あたりの人たちの多くは
段ボールの上にいます。
昨夜からここで野宿していたのでしょうか。

「稀勢の里!肩口!心配やわぁ!」

眠そうな顔のおばちゃんたちがいっています。

あ!もしもし!

注意してあげなきゃ。
「肩口」は大相撲界の隠語では男性のナニのこと!
あ!ま!いいか。
私の周囲のお局さまたちなら
大いに受けるはなしですが
市井の善女にいえばひんしゅくを買うかも。

あ!いえ!なんでもありませぬ。
大丈夫ですよ。
今日は「照ノ富士」と相星になりますよ。

「なんで?!」

世の習いです。
それが一番丸く収まる千秋楽です。
その後
優勝するのがどちらかは
私は知りませんがね。

なんて!無責任なことを
臆面もなくおばちゃんたちにいって
眠けを覚ませてあげます。



千秋楽は
「千穐楽(千龝樂)」が正字(?)でしたか。

不世出の横綱・双葉山の本名は
龝吉定次(あきよしさだじ)だそうな。

千穐楽の「穐」ですか。

なにを考えているのやら。
すみません!心!不安定!です。

「くすり」の依存症の果てに見る
顔中毛虫がはいずりまくる幻覚のように
(そんな経験はありませんが)
脈絡のない毛虫のような単語が
脳裏にかつ浮かびかつ消えるじゃないですか。

この日の予定が根底からひっくり返って
当たるところのない腹立ちの果てです。

帰ります。

折りたたみイス!
寒さに備えて!コート!
文庫本!
チケットが取れて!朝 8 時半に入場して
いい席を確保して
しばりつけておくざぶとん!
ざぶとんばかりでは心細いので
乗せておくダミーの水を入れてきた酒瓶!
カメラ 2 台!
ティッシュ 1 箱!
南京豆の大袋!

みんな持って帰ります。
重いなぁ!



(石井代蔵著/真説 大相撲見聞録/)
(石井代蔵著/続 相撲畸人列伝/参照)
(敬称略)
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野村克也が消されていた?! [いずれ あやめか かきつばた]

街の中に丘と林と谷を造っています。
「なんばパークス」と命名されています。
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大阪はミナミの真ん中
プロ野球の球団の南海ホークスの
ホームグラウンドがあったところ。

「南海・難波駅のホームから」
「球場内が丸見えやったんや」

昔!ご老体がいっていましたね。

「帰るつもりで駅に入ったんやが」
球場の熱狂ぶりを見て引き返し
急いで球場に行ったものだそうな。

同僚はみな南海ファンだった時代があったとか。

なるほど!今も!
「なんばパークス」の横で
南海電車が発着していますね。
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なんばパークスに上ります。
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あんまりハデに紅葉するものはないですね。
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サクラだけとかカエデだけとかを植栽すれば
その鑑賞の期間だけはすごいでしょうけど
その時季は短く
その他の日々には困りますよね。
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それにしても!維持管理が大変でしょうね。



「南海ホークス メモリアルギャラリー」があります。
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以前からあることは知っていたのですが
プロ野球もスポーツもなにも
協調性が皆無!集団ですることは苦手で嫌いですので
興味が湧かなかったのですが
冷風におびやかされて!
しばし避難のため入ります。すみません。

ユニホームやボールやらが飾られています。

活躍した選手の紹介もあります。
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球団史も年表にしてあります。
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年表には主なできごとや
その年の成績や
「監督」の名前が書かれています。

ん?!
その年がとびとび!?連続していないんですが。
さらに
昭和 45 年(1970)から昭和 51 年(1976)まで
監督がいません。
明記されていません。

この時代は野村克也監督?!

選手紹介のパネルをあらためて見ても
そこにも「野村克也」はありません。

打撃部門のタイトルの常連で三冠王も取っている
球団一の打者ですがね。

監督時代にもリーグ優勝をしているはず。
年表には
昭和 48 年(1973)に
監督不在(?)で優勝したことになっています。

はははは。
不謹慎ながら笑ってしまいますね。

そこまで存在を消してしまいますか!

あの品のない!
私の一番嫌いなタイプの女性のせいでしょうね。
たぶん不倫の果てに
野村の 2 番目の妻におさまった女性。

ま!個人の結婚のことは好きにしたらよろしいが
天下の大打者!名監督が
あんな女性にいつも露払いさせて
周囲がいう公私混同するとは!?
幼稚園児でもしないことを?!
かれの心の闇(失礼!)を知るすべもありません。

しかしまぁ!これほどまでに嫌われているとは!

どちらかの肩を持ってはいけないことでしょうけど
嫌うほう!嫌われるほう!ここまで徹底すれば
双方ともなにか痛快ですね。

それ以外の問題があったのなら!ごめんなさい。

関西の私鉄の中で
南海はあんまりいい印象を持っていなかったのですが
ちょっと見直しました。



(敬称略)
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