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年年歳歳 花あい似たり [うそ八百]

「年年歳歳 花あい似たり
「歳歳年年 人おなじからず

うつろい変わる人の世で
花は季節を忘れず
おなじように咲くというのです。

この詩句は
劉希夷(りゅうきい 651? ~ 679?)の
けっこう長い詩の
「代悲白頭翁」の中にあるのですが。

劉希夷は初めに

「年年歳歳花相似
「歳歳年年人不同

の詩句を思いつき
そこからふくらませて
ひとつの詩にしたそうな。

この詩人の生年月日がよく分かりません。
資料によってもまちまち。
7 世紀の
唐の人ということはたしかですが。

この詩句を
舅(しゅうと)が譲るようにいったとか。
拒否したので
怒った舅が
どこかへ埋めたというはなしが
残っています。
だから亡くなった日が分かりません。

眉唾(まゆつば)もののようなはなし。
舅が殺したのなら
この詩句は舅が発表しているはず。



と!ここまで昨年書いています。
1 年放置していたら
また春がめぐってきました。はは。

夜!帰宅すれば(2019/04/06)
わが家の前の桃ケ池の畔がにぎやか。
お花見の人たちですね。
外国語のグループもいくつか。

桜(ソメイヨシノ)がほぼ満開。
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遅咲きの花桃とコラボ。
blog32.jpg

私の腕では向こうの桜は写りませんが。

ハナナとユキヤナギ。
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今年はユキヤナギが元気。
一番ダイナミックに咲いています。



劉希夷は酒を飲みながら
琵琶を弾いて作詩したという人もいますが。
(作詞かも? 拙ブログ 2017/06/07

私は!酒は嫌いで!弱い。
ひと口飲んだら酔っ払います。
酔っ払ってからが!しつこいそうな。
ま!うすうす自分でもそう思います。
普段!
エログロナンセンスで生きていますが
某居酒屋の女将がいうには
私は飲むほどに!酔うほどに!
グロとナンセンスが消えるといいます。

ビールなら 4、5 本飲んだだけで
エロだけが残り
得意(?)の人の悪口と
ごちゃまぜにしていうそうな。

先ほどまでフカといわれている
(フカが酒を飲むのかどうか知りませんが)
発情おね~さん方に強要(?)され!
大酒をくらい!
たぶん!エロばなしの大風呂敷!
たぶん!嫌われていました。

劉希夷の酔いにまかせた詩なら
今!読むのがいいような。



代悲白頭翁
(はくとうをかなしむおきなにかわりて)

洛陽城東桃李花
飛來飛去落誰家
洛陽女児惜顏色
行逢落花長歎息

勝手に段落を作って
勝手に訳します。

「花咲く春だ 鳥も鳴く
「おとめの胸は はちきれて
「男をふるい 立たせても
「花散るときの 切なさよ

細かいおとがめはしないでくださいね。



今年花落顏色改
明年花開復誰在
已見松柏摧爲薪
更聞桑田變成海

訳します。

「天空焦がす 太陽も
「火花とおなじ さだめなら
「あしたの山は 海となる
「恋する人も 砂になる



古人無復洛城東
今人還對落花風
年年歳歳花相似
歳歳年年人不同
寄言全盛紅顏子
應憐半死白頭翁
此翁白頭真可憐

ここは大変!
イメージ貧困で訳せません。
訓読を。

「古人(こじん)また 洛城の東になく
「今人(きんじん)また対す 落花の風
「年年歳歳 花あい似たり
「歳歳年年 人おなじからず
「言(げん)をよす 全盛の紅顔子
「まさにあわれむべし 半死の白頭翁
「この翁の白頭 真に憐むべし



伊昔紅顏美少年
公子王孫芳樹下
清歌妙舞落花前
光禄池臺開錦繍
將軍樓閣畫神仙
一朝臥病無相識
三春行樂在誰邉

再び訳します。

「みにくい姿 恥ずかしや
「十六七は いつのこと
「袖振るだけで 匂い立ち
「男は酔って きたものを
「宴はとわと 疑わず
「浮かれて飛んだ 春弥生
「振り向く丘の 蜃気楼



宛轉蛾眉能幾時
須臾鶴髪亂如絲
但看古來歌舞地
惟有黄昏鳥雀悲

最後の章!行きます。

「老いさらばえて 死ぬさだめ
「思い出なんか なんになる
「忘れることが しあわせか
「忘れることが しあわせだ



女の詩として訳しましたが
これ!男歌でしたね。はは。

しかし!これは訳ではありませんねぇ。
断らなくてもいいですけどね。
ただの思いつきです。

酔っ払いは寝ますだ。



(一海和義著/漢詩一日一首/)参照
(敬称略)
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三月三日幻想 麗人たちの宴 [うそ八百]

昨日(拙ブログ 2019/03/02
二条城の梅の花にあたって(?)
脳裏が真っ白になりました。

1 夜明けたら
喉(のど)と股間(!)に違和感が。

早朝の予定を取りやめ横になっていたら
ずっと寝入ってしまって
午後の予定もキャンセルするはめに。
なにもしないうちに!
中途半端なビョーキのまま!
夜になりました。



病気になったり
不幸になったり
加齢が進むと
古来!人は望郷の念が起きるものらしい。

6 世紀の梁の「文選」にある
「古詩十九首」の中にも。


去者日以疎
(さるものは ひびにもってうとく)
生者日以親
(いくるものは ひびにもってしたし)
出郭門直視
(かくもんをいでて ちょくしすれば)
但見丘與墳
(ただ おかと つかとをみる)
古墓犁爲田
(こぼはすかれて たとなり)
松柏摧爲薪
(しょうはくは くだかれて たぎきとなる)
白楊多悲風
(はくよう ひふうおおく)
蕭蕭愁殺人
(しょうしょうとして ひとをしゅうしょうす)
思還故里閭
(こりのりょに かえらんことをおもう)
欲歸道無因
(かえらんとほっするも みち よるなし)


訳詩!作ります。

「人は生き 人は逝く
「思い出は 消えて行く

「振り向けば かげろうに
「ただ丘と 塚がある

「墓もない 松もない
「まぼろしを 見たらしい

「初めから いつわりの
「風だけが 吹いていた

「ふるさとと “おっぱい”は
「追うほどに 遠くなる

熱にうなされていますね。
“おっぱい”は恥ずかしいので
“片恋”とでもいい換えて
人にはいいますか。

ま!望郷の念がない私が訳したら
情緒もなにもないですね。



桃の節句ですね。

「三月三日
「四民並びに江渚池沼の間に出で
「清流に臨んで流杯曲水の飲を為す

日本に大きく影響を及ぼしているらしい
6 世紀の荊楚(けいそ)歳時記の
3 月の行事にありますが。

「流杯曲水の飲」とは!?

「曲水の宴」(拙ブログ 2009/11/04)なら
その様式美(?)を見たことがありますが。

杜甫(712 ~ 770)も見たらしい。


三月三日天氣新
(さんがつみっか てんきあらたなり)
長安水邊多麗人
(ちょうあんのみずべ れいじんおおし)
態濃意遠淑且眞
(すがたはこまやかに いはとおく)
(しゅく かつしん)
肌理細膩骨肉勻
(きりはさいじにして こつにくはひとし)


「麗人行」の頭の部分。

長安の曲江のほとりで
水遊びをする麗人たちを見ています。

麗人たちは楊貴妃の姉妹や親族らしい。
贅(ぜい)をつくしたきらびやかな宴。
どんな遊びに興じていたのやら。

オトコ遊びはしないのでしょうか。
しますよね!絶対!

それもかの女たちは
槿花(きんか)一朝の夢になりますね。

それでもいい!
夢に死にたいもの。



夢にも死ねず
1 日ムダに過ごしてしまいました。
まだ寝ます。
孤閨に吠えもせず。



(駒田信二著/漢詩百選 人生の哀歓/)
(宗懍著/荊楚歳時記/守屋美都雄訳注/)
(田川純三著/杜甫の旅/)参照
(敬称略)
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地上の霜 李白の不用意 [うそ八百]

毎日寒いですね。
たぶん世界一
ヒートアイランド化が進んでいる大阪にも
霜が降りたニュースが流れるころ。

李白の「地上の霜」を思い浮かべました。


牀 前 看 月 光
 (しょうぜん げっこうをみる)

疑 是 地 上 霜
 (うたがうらくは)
 (これ ちじょうのしもかと)

挙 頭 望 山 月
 (こうべをあげて さんげつをのぞみ)

低 頭 思 故 郷
 (こうべをたれて こきょうをおもう)


この五言絶句のタイトルは
もちろん「静夜思」ですが。

とりたてて漢詩が好きな訳でも
お勉強熱心でもありませんが
1 度はどこかで出会ったような詩。

「ガッコーで習ったはずよ」

アラフォー(around 40)の生意気な!
いや!たぶん!ただ発情しているだけの
女史がいいますが。

「そりゃぁ!小学校の教科書には
「のっていると聞きましたが。

「え?高校でしょ」

「北京の統一小学校教科書。

「日本のこと!いいなさい」

「おら!ニッポンの
「高校には行ってましぇ~ん。
「おフランス人ですけん。

中国の教科書版は
少し漢字が違うそうなのですが
大意には問題がないようです。

伝書によって字句の異同があるのは
どうしてでしょう。

そんな「静夜思」の考察は
武部利男論文が詳しく
私は大筋それの請け売りですが。



「牀前」の「牀」は
「寝台」のことと
どの先生方も平易にかたづけています。
「ベッド」でいいのでしょうか。

「ベッドの前の月の光を霜かと思った。
「山にかかる月を見た。
「ふるさとを思った。

その詩の姿(?)をながめただけで
だれでもそんな意味だと思うのですが。

江戸の文人の服部南郭は
「不用意の詩ぢゃ」と書き残しています。
技巧をこらさず!
口から出たままということかな。

しかし!平易な漢字の連なりゆえに
詳細はよく分からず
人によって解釈にずれを生じます。

「いつなのか?

寝る前なのか。
目覚めたときなのか。
寝床にきたときなのか。
寝床といっても寝るばかりではなく
大きなベッド状のくつろぎの場所で
ずっとそこにいたのか。

「牀前の地上の霜とは?

霜はだいたい地上にありますがね。

屋外の月光か!屋内のそれか。
ほとんどの人が
屋内に射し込む月光じゃないと
詩にならないという解釈?!

屋内の月光なら
井伏鱒二がいうように
李白の寝室にガラス窓があるはずがなく
戸や窓が開かれていなければ不可能!?



私はふと思います。

この詩の季節を有識者たちは
秋とか!冬とかに分類されていますが
夏の詩ではないかと。

冬なら寒くて戸や窓が閉じられていても
夏なら開け放たれていて
月光が射し込むかも。

夏なら霜かと思っただけで
霜じゃなくて当然です。

たとえば「冬瓜(とうがん)」だって
夏の終わりの食べものなのに
「冬」の字がついています。
加熱すれば氷のようで
目に涼しいからじゃないでしょうか。
(異説は多いですけどね)

夏!月光を涼しく感じて
「霜」と詠(よ)んだのでは。



この詩は「不用意」なようにみせて
ホントは
深い心象風景ではないでしょうか。

李白は詩にやたら「月」の字を使います。
なにかを暗示しているのかも。

この詩には「月」がふたつもあります。
「不用意」でも短い詩に
大詩人がおなじ字を重ねる愚形?!

やはり「頭」もふたつありますが
その重複とは違うような。
やっぱり!なにか深い意味があるのでは。

この有名な詩を
文人墨客から学生・生徒まで
古今!多くの人が訳していますが
五言絶句で韻を踏んでいる詩を
説明的な散文に訳していいものやら。

五言絶句で視覚的に形が整っているので
せめて散文ではなく定型の詩にして
脚韻に対しては
日本のモーラ(拍)で訳してもらいたいもの。

井伏鱒二は小唄調に試みたそうですが
それも理にかなった一見識でしょう。



では恥ずかしながら習作を。
モーラを新しく(?)考案して
3 モーラ 3 音節
5 ブロック 4 行で
五言絶句のような形にして!やっつけます。

李白は「不用意」ではなく
月も霜も
酔っ払って浮かんだ心象を表現したと
勝手におもんばかって。


夢の 果ての 白い 月の 光

霜が 降りた ような 凝(こ)りた 心

拗(す)ねて 生きた まわり 道の 月日

母よ 青い 山よ 子もり 唄よ


原詩から遠く離れてしまいました。



寒いですね。
不用意に冬を迎えてしまいました。



(武部利男著/「静夜思」について/)
(一海和義著/漢詩一日一首/)
(駒田信二著/漢詩百選 人生の哀歓/)参照
(敬称略)
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去年今年 四天王寺 除夜の鐘 [うそ八百]

四天王寺(大阪市天王寺区)です。
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例年通り北鐘堂には長蛇の列。
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北鐘堂は改修中でしたが
除夜の鐘は撞(つ)くんですね。
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石舞台の南に北鐘堂と並んで太鼓楼
境内の南に南鐘堂と
「梵鐘」はみっつあるので
改修中の北鐘堂では
強いて撞かなくても
いいようなものですが。

聖徳太子の時代から
雅楽の音律の基準を求めている
鐘です。(拙ブログ 2012/07/02

みっつの鐘の中で
一番位のある(?)鐘だから
はずせないのでしょうかねぇ。



ぼちぼち
元旦の歌(といえるものかどうか)を
詠んでいます!暇だから。
頭を「去年今年(こぞことし)」にして
やっつけます。


「去年今年 ぼたもちひとつ またひとつ
「棚から落ちて 生きながらえる


「去年今年 地獄の縁に ひとり立つ
「この果てに咲く 花はいらない


ふざけていると思われそうですが
結構!考えて!ま!この程度ですなぁ。



太鼓楼にも行列ができていますが。
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北鐘堂と太鼓楼では
最初の 108 人にはずれても
希望者はその後未明まで
撞くことができますけどね。



「去年今年(こぞことし)」の
単語は知っていました。
かなり前から。
無知!無恥!親不孝の
おフランス人(フランス人にあらず)でも。
親不孝は関係ないかも知れませんが。

新年には知ったかぶりに

「去年今年 貫く棒の 如きもの

なんて!
虚子の句をいってみたり。

しかし!他の有名な句は知りません。

よく考えたら
「去年今年」の意味の正解は知りません。
聞かれても説明できません。

人間が!ま!ひねくれていえば
勝手な為政者が勝手に作った暦で
今日は今年
昨日は去年という
あたりまえのことですが。

あらためて手元にある
俳句歳時記(角川書店)をめくります。
半世紀近く前に編集された古い本ですが
歳時記はこれで構わないでしょうね。

「一夜明ければ
「昨日は去年(こぞ)であり
「今日は今年である

なんて!これまた
あたりまえのことを書いてあります。

さらに

「忽ちのうちに年去り年来る
「時の急速な歩みにたいして
「深い感慨を覚えずにはいられない

と!
摩訶不思議な説明ですね。

時は急速には歩まないでしょう。
条件がおなじ次元で。
その「時」は頭の中の「時」なのかぁ!?

すごいですねぇ!
暦をめくるだけで
「深い感慨」を覚える日本人って!すごい!



南鐘堂。
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比較的人気が少ない(?)鐘です。
でも!すでに
108 人は越えているでしょう。



「時間」の概念も年々
アインシュタインの理論を越えるような
新しい説が出てきて
愚かなものにはなにがなんやら。

今年の私は
「時間」という素粒子があると
大ぼらを吹いて
だれからも相手にされませんでしたが。


「去年今年 おなじ次元の ホログラム
「あしたが見える? あしたから見える?


「去年今年 おなじ次元の ホログラフィ
「追えばあなたは 虹の中の人



向こうに見える
「あべのハルカス」の照明が
気のせいかがきれいに見えますが。
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「去年今年 移り香だけが ふわふわり
「くちづけ以上 恋人未満


「去年今年 雑煮の味も 古里(こり)も捨て
「遠くまた遠く 愁風いや増す

(こ・ぞ・こ・と・しを)
(頭につけてみただけです)



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新年にあたり
時の急速な歩みを抱きしめて
深い感慨を覚えずにはいられません。
なんて!
ウソいってすみません。
「去年今年」は
はやいはなしよく分からないまま
新しい年も厚顔無恥でスタートです。


「去年今年 思いの薄い 恋を積む
「まだ積み上げる まだ重ねるぞ


「去年今年 男と女は ただ狂え
「女と男は ただつつましく
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飛鳥の子守歌 彼岸花 [うそ八百]

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明日香は飛鳥 人は人

百年千年(ももとせちとせ) 絵空ごと

刈られて赤い 彼岸花

浮気に染まる かあちゃんが

野分(のわけ)の中で 美しい



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昼間にすだく 虫の音に

思い出なんか ほしくない

捨てられ赤い 彼岸花

浮気に走る かあちゃんを

責めても夢は 結べない



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昨日も今日も 生きている

あしたもたぶん 生きられる

折られて赤い 彼岸花

浮気の好きな かあちゃんを

男の子なら 抱きしめて





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