So-net無料ブログ作成
検索選択
わが街・大阪ブギウギ ブログトップ
前の5件 | -

飛田新地(3)今里新地は祇園流 [わが街・大阪ブギウギ]

空腹を覚える午後 3 時。
コンビニのローソンがあります。
blog1.jpg

ランチに 108 円の菓子パンを
クレジットカードで買い
飢えをしのぎます。

ん!?
ここにコンビニ!ありました?!
ここは「今里新地」(大阪市生野区)の
入り口では!?
風景が
ずいぶん変わっているような気がします。

大昔!今は亡きある刀自がこのあたりで
立腹してはなしてくれたことがあります。

夫が「今里」の「女」のところに行って
帰ってこなくなったそうな。
かの女は 40 歳のときに
20 歳の男といっしょになったといいます。

それじゃ!いつの日か
夫は若い女の元に走りそうですが
そうでなくても
生理的なものか!
種の保存のDNAがなせる業(わざ)なのか!
「男」は精子をまき散らしに走り
「女」はそれを
どんどん(?)受け入れるような。



「男」は遊廓に入ったら
抜け出しにくいものらしい。

非日常的な世界は楽しい。
昔は身分制度に縛られていましたが
この世界では
平等に扱われるのがいいのかも。

今もおカネ次第で
身分を考えずに楽しめます!知らんけど。

明の馮夢竜(1574 ~ 1645)の集めた
「笑府」にある笑話。

「あの千人万人の男の肌にふれた女の」
「どこがよくて?」
なんて女房がいえば男は
「名妓は客とつきあえばつきあうほど
「あそこがよくなるのさ

「あらそんなこと!?」
「おやすいことじゃないか!」

その後!女房が
名器になったのかどうか知りませんが。



ところで!
遊廓(?)はどこなんでしょうか。
あんまり面影はありませんね。
ああ!このあたりかな!
「飛田」や「松島」に
似ていなくもありませんね。
blog2.jpg

今も健在のはず。

ここは京都の祇園や先斗町の
花街の遊びのようなシステムなんですね。

たとえば祇園で遊ぶには
「お茶屋」というところに行きます。
芸妓は置屋(おきや)にいます。
料理は料理店からのケータリングです。

つまりお茶屋は場所提供。
あとのものはみんな出前になっています。

余談ですが
東京のはなしを読むと
「待合(まちあい)」という単語に
しばしば出会いますが
「お茶屋」イコール「待合」かどうか!
勉強不足で!知りません。

今里新地も
「置屋」(と呼ぶのかどうか知りませんが)から
女性を呼んでくれるらしい。

客と折衝する「おばちゃん」は
飛田新地の「おばちゃん」とは
また違う才能がいるのかも。
目前に「女性」がいないのに
客を納得させる会話ができるものかどうか。

私が心配することもないのですが。



笑府にこんなはなしものっていました。

「世の中で一番楽しいものはなんですか?」

好色の男が答えて
「房事が一番!

「房事を行った後で一番楽しいものは?」

「もちろん!
「それをもう一度行うことです!

ホントにもう!
男というものは。
人間というものは。



(歴代笑話選/松枝茂夫編訳/参照)
(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

桜之宮 堤長うして家遠し [わが街・大阪ブギウギ]

大川(旧・淀川)の天満橋から上流には
橋がないことになっていますが。
まだおじいさまやおばあさまが
この世にいないほどの昔のはなしですよ。

その天満橋の上流
長さ 129m の幅員のない斜張橋。
blog01.jpg

自転車道として
昭和 53 年(1978)に整備された川崎橋。
むろん人も通れますけどね。

記憶は定かではないのですが
どこかの古地図にも
ここに橋が描いてあったのを
見たことがあるような。
blog02.jpg

左岸!すなわち大阪市都島区の
桜之宮公園をさかのぼります。
ちなみに向こう岸の
北区の川沿いも桜之宮公園です。

藤田邸跡。
blog03.jpg

あれ?!
たしかここに大長寺があったのでは。
(現在の寺はうんと北に移転しています)
小春と治兵衛が心中したところ。
実際の事件を近松門左衛門が
享保 5 年(1720)に人形浄瑠璃に仕立てた
“心中天網島” の舞台。

ふたりは多くの橋を渡って逃げます。
最後に京橋!ついで御成橋を渡って心中の地。

私の橋の絵の記憶は御成橋でしょうか。

違いますね。
大川を渡ってしまえば網島じゃありませんから。
このあたりはなん度も地形が変わった中州の地。
御成橋はその間の川のひとつの橋なんでしょう。

あ!川崎橋は
1 度!明治の初めに橋が架けられていたそうな。
私設の有料の橋。
あやふやな記憶はそれかも知れません。



桜宮橋(さくらのみやばし)。
blog04.jpg

いかつい鉄骨の橋ですね。
昭和 5 年(1930)架橋だとか。
いかにも時代を映していますね。
度重なる大阪空襲にも耐えたのですね。

“プロヴァンスの街に” ですか!
blog05.jpg

ラブホテルです。
この付近にラブホテルが集中しています。
立ち尽くす私の前に
カップルがつぎからつぎに出てきます。

たいてい!女性のほうが嬉々としています。
ショーバイしているんでしょうか!まさかね。
平日の昼の日中に
”心中天網島” ごっこをやっているんじゃねぇ!
親は泣いとるぞ。
ま!個人の勝手ですがね。

あ!そんなこと感心しているバヤイじゃねぇ!
そのホテル街の中の
「櫻宮(桜宮 さくらのみや)」に寄ります。
blog06.jpg

「桜の宮」という上方落語があります。
東京の
「花見の仇討(あだう)ち」とうりふたつです。

「花見の仇討ち」は
滝亭鯉丈(? ~ 1841)の作と分かっているらしい。
それが上方に移入されたのでしょう。
そのときにこのあたりが
花見の名所だったからでしょう。

桜の名所にあったから
“櫻宮” という人が多いのですが
東成郡野田桜野から
洪水で流されてきた神社だから桜野宮!
表記が変わって
桜宮(さくらのみや)になったという説も。

さらに移って今の場所に鎮座されたのが
宝暦 6 年(1756)だといいますから
そのころになって神社にちなんで
桜を植えた可能性も否定できないような。

そして落語がやってきたときには
桜の名所になっていたのかも。
しかし!桜の樹種は
ソメイヨシノ(染井吉野)ではないでしょうけど。



疲れてきました。
灰色の脳で考えるのはやめます。

昭和 11 年(1936)架橋の源八橋です。
blog07.jpg

JR大阪環状線の鉄橋です。
blog08.jpg

昭和 7 年(1932)ごろ竣工かな。
当時の鉄道会社は国鉄かどうか
私には分かりませんが。

都島橋。
大正 11 年(1922)架橋。その後架け替え。
blog09.jpg

昭和 59 年(1984)架橋の
飛翔橋は歩行者専用です。
blog10.jpg

わ!
blog11.jpg

橋がいっぱい。
よくまぁ!
四の字固めのようにこんがらからないこと。

上は阪神高速道!
下は毛馬橋!
右の大川に並行しているのは春風橋かな。

新・淀川からの分岐の
毛馬閘門(けまこうもん)に着きました。
blog12.jpg

毛馬は古い淀川のデルタにあった村の名前。

「デルタの毛まのこうもん!」
「びっくりしまっせ!」
今は亡き噺(はなし)家の
露の五郎兵衛(2 代)の高座のまくら。

閘門とは
新・旧の淀川の水面の高低差をここで
調整して航行をなめらかにしているのですね。

大川(旧・淀川)の
閘門が開いて船が出て行きます。
blog13.jpg

淀川の堤に上がれば
毛馬村出身の与謝蕪村の句碑。
blog14.jpg

春風や 堤長うして 家遠し

たいていの教科書(!)では
「はるかぜや つつみなごうして いえとおし」と
読ませています。

が!
上方弁では「堤」は「どて」というのが一般的。

「はるかぜや どてなごうして いえとおし」じゃ
ないんでしょうか。
そのほうが五七五でもあります。

ま!
「どて」といえば五郎兵衛師匠!
草葉の影でまた喜ぶかも知れませんが。



(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

大坂城古石垣 スペシャルランチ [わが街・大阪ブギウギ]

blog41.jpg

白鳥(しらとり)は かなしからずや
空の青 海のあをにも 染まずただよふ

若山牧水(1885 ~ 1928)の若いころの歌。
まだ 20 歳そこそこでこんな歌が詠めるとは。

このころは
白いものに魅かれていたのか
白鳥(しらとり)が好きだったのか
他にもいくつか「白」とか
「白鳥」の単語を使った歌があるようです。

春のそら 白鳥まへり 觜紅(はしあか)し
ついばみてみよ 海のみどりを

くちばしが赤い!?
ああ!あのユリカモメのような鳥なんでしょうか。

ここは海ではありませんがね。
大川(旧・淀川)がふたつに割れる
中之島の剣先のところ。

浮いている水鳥のすぐそばを
アクアライナー(水上バス)等の船が
かなりのスピードで通り過ぎているのに
水鳥たちは見切っているのか平気ですね。
blog42.jpg

こちらから見て思うほど
接近してはないのかも。



だれも感心しないから
教養(?)をひけらかすのはこのへんにして
「古石垣ツアー&スぺシャル」に参ります。

「“おスぺ” つきですか!なつかしいでんな」
まだまだスケベを卒業できない
おじいさんがいいます。
スペシャルを
“おスぺ” と縮めてはいけませんよ。

おじいさんが常連客だった “トルコ風呂” の
お手々でするサービス(?)が “おスぺ”!?
梶山季之なんかの
小説の世界でしか知りませんが。
その “おスぺ” とは違いますよ。

レディもいるんですから抑えてね。

「どこにぃ!?」
「おばちゃんとオカマでんがな」

おばちゃんは!ま!いいけど!

「よくないっ!」

オカマってだれのこと?!
水鳥と泳いでみますか!

はい!静かに!正確にいえば
「大坂城の復元・古石垣探索」と
「スペシャルランチ」のツアーです。

会費は現金で 600 円!

「アクアライナーかなんかに」
「乗せてくれまんの?!」

生意気いうんじゃありません!
人生の先輩方を前にいうのも生意気ですが。
600 円でどうやって乗れるんですか。

歩きます。
市中引き回しじゃ!さっさと歩きなさい。



天満橋を渡らず!東のほう!
すなわち大阪城に向けて行けば
ドーンセンターがあります。

「なにをするところですか?」

知りません。
“大阪府立女性総合センター” と
書いてありますが
1 度もはいったことがありません。

「女性、、、ですか?」

なにを考えているのですか!
その “おスぺ” から離れてください。

その前の石垣。
blog43.jpg

初代の大坂城の
三の丸の石垣を移築復元しています。

冬の陣の後!
徳川幕府が埋めてしまっていた石垣だそうな。

つづいてすぐ前の
日本経済新聞社の大阪本社の
社屋の裏に行きます。

ここにも石垣を移築復元しています。
blog44.jpg

大坂城再築(2 代めかな)のころ(1620)の
ものだそうですが
でも!なぜか
その石垣を隠すように垣根を作っています。

なにがあったのでしょう。

そこから南の
追手門学院小学校の塀際にも石垣があります。
blog45.jpg

取ってつけたように不自然にあります。
なんの説明もありませんが
たぶん!
この古い石の積み方は大坂城の遺構のような。



大阪城に行きます。
(大坂城 or 大阪城!)
(書くたびに気をつかい!やせる思い)

崩れかけているレンガ造り。
blog46.jpg

帝国陸軍のものでしょうか。

化学分析場だったから
さわると危険なので
放置されているのでしょうか。
blog47.jpg

大規模な兵器の研究・製作所があったようです。
blog48.jpg

“砲兵工廠跡” の文字が空しいじゃないですか。



古くて暗い!大阪府庁に行きます。

食堂のサンプルをごらんあれ。
blog49.jpg

この中で一番高い!
スペシャル(ランチ)を食べます。
blog50.jpg

どうです!この “おスぺ”!
ぬるいおつゆですが!かけそばまでついて
税込み 600 円ですぞ。

食べ終わったら
昼休みのツアー!解散です。
勝手にお帰りください。
府議会を傍聴してもいいですけど
“おスぺ” のヤジなし!静粛にね。



(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

梅田の天空の農園の麦踏み!? [わが街・大阪ブギウギ]

菜の花は咲いていますが。
blog51.jpg

3 月も明日から中旬になるというのに!寒い。
JR大阪駅の上の「天空の農園」は
ほとんど冬枯れの寂しい色。

その中で青々としている一角。
blog52.jpg

麦ですか!
冬中!北風が吹き抜けるところです。

うしろ手に 拳ゆるめず 麦を踏む (安達真弓)

頬かむりして!背を少し丸め
風の吹く広い景色の中で
遠くにただひとり「麦踏み」をする!
そんな日本の原風景が浮かびますが。

「麦踏み」はあんまり団体でかたまって
にぎやかにする作業じゃないですよね。

ところで!なんのために麦踏みなんて?!
最近でも行う農作業でしょうか。

霜柱で浮いた根を押さえるためとか
株の分けつが少ない前に伸びてしまわないように
抑制のためとか
聞いたことがあるような。

ここの麦は柔らかく伸びていますが
「麦踏み」はしたのでしょうか。
たぶん!麦踏みをしてもしなくても
収穫量の差がないのでは。



「最後の晩餐」なんて聞かれることがあります。
どうでもいいことですが。
そのときの体調で変わるでしょう。
ま!それでも
頭のどこかに白いごはんがありますね。

私は大昔から白いごはんと
白菜の古漬けが好きです。

麦めしも嫌いじゃないのですが
レーション(糧食)の権威の川島四郎が
日本人の口に合うという
米 7 麦 3 の割合のごはんは
どうでしょう。

ちなみに
帝国陸軍の軍隊調理法(昭和 12 年)では
胚芽米 200g 精麦 62g 水 430ml とありますが。

そんなに麦が多い麦めしは
あんまり食べたことがありませんけどね。

あれ!?
これは小麦だそうです。
麦めしに炊くのは大麦でしたか。

大麦も小麦も裸麦も
たぶん「麦踏み」はしていたと思いますが。



だれもきません。
恋もありません。

寒いので「風の広場」まで降りましたが
ここも寒い。
blog53.jpg

スズメたちが着ぶくれて!待っていますが。
blog54.jpg

暖かい日なら大勢の人がランチをしていて
おこぼれがもらえるのですが。

どこかへエサを探しに行くより
辛抱強く待つほうが
人生(?)の効率がいいのでしょうか。

そのスズメを見ながら
ファミマのイートインでランチ。
blog55.jpg

おにぎりとココア。
変な取り合わせ。
変人ですからね。

着ぶくれて 我が一生も 見えにけり (五十嵐播水)



「グランフロント大阪」の前の広場で
なにか売られています。
blog56.jpg

「 Umekiki Marché vol.5 」(2017/03/10 ~ 12)
だそうですが。

野菜や加工品が採れたてだとか。

よく考えてみれば
近所のスーパーでも
採れたての野菜や加工品ばかりでしょう。
輸入品をのぞけば。

割高のような!私の感覚ではね。
でも!買う人は買っていますね。
blog57.jpg

こういう催しに浮き浮きするのかも。
浮き浮きする人も多いのかも。
縁日の露店のような
非日常的な気分の買いもの?!

決して農産品に
ケチをつけている訳じゃありませんよ。

りんごだけの店。
blog58.jpg

キクラゲだけの店!なんてありますね。
面白い。



(川島四郎著/たべもの心得帳/参照)
(敬称略)
タグ:軍隊調理法
コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

木津勘助の島 日本一の獅子頭 [わが街・大阪ブギウギ]

たぶん!日本一の獅子頭!
blog21.jpg

難波八阪神社(大阪市浪速区)の獅子殿。

高さが 12m あるそうですが。
目にライトが仕込んであるので
夜にはもっと迫力があるはずですが
夜になると境内は立ち入り禁止になるとか。

綱が飾られていました。
blog22.jpg

八頭八尾の大蛇の大綱。
「難波の綱引き」と称されて
ニュースになっているのを見ることもありますが。
今年の行事は終わったところですね。



勘助橋跡の碑。
blog23.jpg

鴎町公園の中。

室町時代の地図を見るとこのあたりは海の中。
小さな島や中州だらけ。

毛利水軍や織田信長軍や九鬼水軍やらが
入り乱れていたところ。

江戸時代になって木津勘助(中村勘助)が
姫島を開発したのですね。
姫島は後に
勘助島(今の大正区あたり)と呼ばれたらしい。

その島か!
その島に渡る橋かがあったところでしょうか。



この公園には
折口信夫(1887 ~ 1953おりぐちしのぶ 釈迢空)の
顕彰碑もありました。
blog24.jpg

生誕地がこのあたりらしい。

横の文学碑に「十日戎」という
たぶんエッセイの一部が刻まれています。

さらにその一部に

「今宮の戎前から」
「難波の入堀川に面した」
「お藏跡まで十丁あまり」

なんてありますが。

「お蔵跡」は南海・難波駅のところ。
「入掘川(いりぼりがわ)」はそこへ
道頓堀川から掘削された運河。
今はなんにも面影が残っていませんが
折口が幼少のころには
はっきり認められていたのですね。



南に歩けば
木津勘助が立っていました。
blog25.jpg

敷津松乃宮・大国主神社の境内。

神功皇后が松の木を植えたので「松乃宮」!
神功皇后は
卑弥呼に比定する人もいるほどの大昔の人。
ほとんど神話の世界の人。

18 世紀になって神託により
出雲の大国主を勧請したから「大国主神社」!

このあたりでギブアップ!よく分かりませんが
また!この神社は
「木津の大黒さん」と呼ばれて
信仰を集めています。

大国主と大黒天は違うような気がしますが
深く考えますまい!知恵のないものは。



近くの唯専寺に寄って帰ります。

木津勘助の墓があります。
blog26.jpg

不思議な形の墓石です。

「木津勘助」という上方落語の演題があります。
これを聞いても
この墓の由来となるような
酒壺や油壷のエピソードがないのですが。

余談ですが「木津勘助」は
上方落語らしくありません。

江戸落語はお座敷芸から
上方落語は辻噺(つじばなし)から発祥したと
聞いたことがあります。

街頭で往来する人の足を止めるには
下座(はやし鳴りもの)も協力して
やたらにぎやかに演じる必要があったようですが
この噺は性格が違います。
静かです。

講談や浪曲からアレンジされたものでしょうか。

宇井無愁著/落語の系譜/の
上方落語の 1,000 近くの演題の中にもありません。



大阪に流れてきて幾星霜。
まだまだ知らないこと!
不思議なこと!
たくさんありますね。



(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感
前の5件 | - わが街・大阪ブギウギ ブログトップ