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どんづるぼう 聖徳太子葬送の道 [野道!山道!恋はけもの道!]

近鉄大阪線・二上駅から歩きます。

静かな田園の中
二上山のふもとに行くつもり。
ふたつの山頂が並んで見えない場所なのか
どこが二上山やら。
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こちら側からアプローチすることは
まずありません。

二上山により近いところを
近鉄南大阪線が走っていますから。
そちらの二上山駅やら
二上神社口駅を利用するのがフツーです。

道はなん本あるの!?
たこ(蛸)がツイストを踊っているような
交差点に出ました。
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「穴虫(あなむし)」ですか。

ここに大きな万葉歌碑がありました。
万葉仮名で刻まれています。

メンドくさいので
新訓 万葉集/佐佐木信綱編/の通りに書きます。

大坂を わが越え来れば 二上(ふたがみ)に
もみち葉流る 時雨ふりつつ   (2185)

“大坂” ですか。

大坂(大阪)の語源の “大坂” が
どこの坂を指すのか
いまだに私は分かっていません。

難波京につづく道だとか
蓮如(1415 ~ 1499)がいい出したとか
今の大阪城あたりにあった
本願寺や
法眼寺や
生國魂(いくくにたま)神社の参道だったとか
諸説がいろいろ。

今はそのどの建てものもありません。
坂も行方不明(?)です。

しかし!この歌の “大坂” は
奈良と大阪の境の大きな坂のことでしょうね。
大坂(難波)からきたことには
変わりないでしょうけど。

あ!そうですか?!
中央(大和政権)側から見れば
大きな坂を越えたところにある地(難波)は
略称 “大坂” ですか!?
それが語源かも。

それはさておいて
この歌で越えた峠は “穴虫峠” ですよね!きっと。
その峠を目指します。



“地蔵摩崖仏” の高札がありますが
全然見えません!分かりません。

道のない急斜面をはい上がれば
“摩崖” と呼ぶにはあまりにも可愛い岩が。
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自然石に高さ 54cm の
小さな(失礼!)
地蔵菩薩立像が刻まれています。

が!ここから降りるのに苦労しました。
よいこはまねをしないように。

この穴虫峠を通る道は
聖徳太子の遺体を運んだので
“葬送の道” と呼ばれているそうな。

このお地蔵さまと
太子信仰の関係は分かりません。

聖徳太子は今の奈良の
斑鳩(いかるが)の里で亡くなったのに
山を越えて今の大阪に埋葬したのですか。
どんな事由があるのでしょう。

穴虫峠に着きました。
ここが歌の “大坂” かも。



先年亡くなった
ハイキングにもウォーキングにも
とんと縁のなさそうなご老体が
「おれだってハイキングしたものや!」
なんていっていたことがありました。

「ドンズルボーなんかよく覚えとる」
「ま!駅から」
「ちょこちょこっと歩くだけやけどな」

大阪側をのぞけば
近鉄南大阪線の電車が
あえぎなら(!)上ってきました。
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人やくるまは峠の上を越えますが
電車は峠の下の
トンネルをくぐって奈良側に入ります。

そのトンネルの奈良側の出口付近に
ご老体がいっていた
「屯鶴峰(どんづるぼう)駅」があったらしい。
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背伸びして柵の上にカメラだけ出したのですが
どこにも駅の面影がありませんね。
新潮社/日本鉄道旅行地図帳/を見れば
昭和 49 年(1974)に廃止となっています。



屯鶴峰(どんづるぼう)に入ります。
ここの案内板には屯鶴峯と書かれています。
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凝灰岩(ぎょうかいがん)というらしい。
むき出しです。
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鶴が
屯(たむろ)しているように見える峰だとか。
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ん!?
それなら
“鶴屯峰(かくとんほう)” でいいのでは。

屯鶴峰(どんづるぼう)も面白い重箱読み!?
“どんかくほう” じゃないんですね。

もしかして
“どんづるぼう” という名前が先にあって
だれかが漢字をあてたのかも。

ころがれば!はるか下に一直線!?
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画像では分かりにくいのですが
すべりやすく!大変な急傾斜です。

でも!勇気を出せば
降りて降りられないこともなさそうですが
もし!帰らなきゃならないことになったら大変!
進むのは断念します。
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××十年前に 1 度ならずきたことがあります。
そのときにはどうしたのやら。
どんどん進んで行ったような気もしますが。
だんだん横着になって臆病になりますね。

岩に座って時間をつぶします。
向こうの山も白く輝いています。
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あれは “鶴” ではなく
ぶどう畑のシートが反射しているのですね。
大阪側の里はぶどうの産地です。



(敬称略)
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