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猪名川町 彫刻の道 [野道!山道!恋はけもの道!]

能勢電鉄・日生中央駅から
うぐいす池公園を横断します。
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石地蔵じゃありません。
不思議な石です。

公園を抜けたら野中の道を
猪名川町役場の方へ歩きます。

ところどころ
どきっとさせられます。
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路傍の石のオブジェ(?)に遭遇します。
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猪名川町のホームページを見ると
石の彫刻を並べた「彫刻の道」を
町内に 3 コース作っているそうです。
その一部かも。



猪名川町役場の横に立派な屋敷が!
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「静思館」との看板があがっています。
裏口!勝手門から
御用聞きのようにこそこそ入ります。

豪邸ですね。
昭和の初めに資産家が
江戸時代の豪農の屋敷を模して建てたそうです。

町が譲り受けて公開していました。

大きなかまど。
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和室は 7 室!茶室が 1 室。

蔵が 4 棟!物置は 5 棟。
管理人一家が住めるような棟。
奥行き 20m の氷室。
客についてきたおともの控室。
ああ!まだまだ
書き出せばあきれるほど多数。

給水塔がありました。

どうして水圧が必要?!

トイレでした。

驚くことに
この資産家は
イギリス生活が長かったせいか
80 年前のこの片田舎で(失礼!)
水洗式にしていましたが。



野道に出れば
若い栗の実が落ちていました。
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ふと!思い出すのは
井上井月(いのうえせいげつ)の句。

  落栗の 座を定めるや 窪溜り

無一文で放浪すること 30 数年。
乞食井月と呼ばれて
ついに行き倒れた井月にとって
この世がほんのひとときの仮の姿なら
あの豪邸の主も
やはりひとときの仮の宿を建てたのでしょうか。

夏が行きますね。
空のあなたに。
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まだ!秋の雲は少ないですかね。
まだ!タカサゴユリは咲いています。
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有岡城跡 伊丹郷町 [町道!街道!眠り未だ足らず]

JR伊丹駅前。
塔があります。
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組鐘!?
カリヨン(carillon)ですか。
姉妹都市ハッセルト市(ベルギー)からの寄贈らしい。



「官兵衛ゆかりの有岡城跡」への矢印があります。

某国営放送みたいなTV局の放送中のドラマが
「黒田官兵衛」の物語だからなんですね。

有岡城跡。
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新しい?!
新しい石垣のように無知なものは感じますが。
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荒木村重が古来からあった伊丹城を大改修したのは
天正 2 年(1574)だと書いてありました。

そして天正 11 年(1580)に廃城。

この整然とした石積みは
関ヶ原の戦い以降!近世のもののような。
よく分かりませんが。

昨日造ったような
几帳面に敷いた石の階段を上がって見ると
ん?!
北西の隅に。
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これが村重のころの石垣では。
わずかですが。



有岡城跡から西に歩きます。

街がきれいで新しいような気がします。
先の大震災の後の整備か
もともと整然としていたのか分かりませんが。

郷町長屋なんて
古色は出しているものの!こぎれいな店舗。
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有岡城は「惣構え」の城だったのですね。
大陸に多い!たとえば南京城みたいに
城下町もなにもかも囲ってしまう築城法。

その廓(くるわ)の中で
酒造りなんかに活路を見出して発展してきた町々を
伊丹郷町と呼ぶらしい。

最近の発掘で大溝跡を発見したとか。
復元していますが。
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ひしめいていた酒蔵の排水溝らしい。

この溝の下は有岡城の堀だったそうです。



「みやのまえ文化の郷」という
建てもの群に出くわしました。

美術館やら工芸センターやら
古民家やらがかたまっています。

その中で旧岡田家住宅を見学。
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延宝 2 年(1674)建築!
現存する兵庫県最古の町屋!
日本最古の酒蔵!という大変なものらしい。

大きなかまど。
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これは近代のものでしょうけど。



伊丹郷町の守り神だという
猪名野神社に向かいます。
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なん度もいいますが!街がきれいです。

あ!?
古い立派な石灯籠の数々。
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酔っぱらいの千鳥足のように
めいめいが好きな方向に傾いています。
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まっすぐ立っているものはまれ?!
どれがまっすぐか分からなくなりますね。はは。

これまた古い本殿ですね。
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ここは有岡城の北の端の砦(とりで)
「きしの砦」があったとか。



その砦の土塁(どるい)跡じゃないかと
思(おぼ)しきところに
鬼貫(おにつら)の句碑がありました。
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鳥ハ未 口もほとけす 初桜

「とりはまだ くちもほどけず はつざくら」
と読めばいいのでしょうか。

150 年以上前の建立。
石がだいぶ風化してきています。

上島鬼貫(うえしまおにつら 1661 ~ 1738)は
伊丹の人でしたか。



雨が降ってきたのでいそぎます。

広い場所に出ました。
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三軒寺前広場。
寺院が 3 か寺並んでいるから。

そのまんまの命名ですね。

帰路は阪急・伊丹駅に向かいますか。
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興聖寺で坐禅です [猫も歩けば棒立ち]

琴坂を進みます。
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ゆるやかな上りです。

両脇の小さな小さな流れから
琴の音が聞こえるから琴坂と巷間うわさされます。

琴の音なんか聞こえやしませんよ!私には。
水の流れの音と
絃(げん)の振動音が似ている訳はないでしょう。

達人が胸の奥で変換すれば
同じような音になるのかも知れませんが。



龍宮造りの山門をくぐって
興聖寺(こうしょうじ)に入山します。
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日本三禅宗のひとつ
曹洞(そうとう)宗の道場です。
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宇治川の清流沿いの高台
修行するロケーションは申し分ありません。
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法堂(はっとう=本堂)の扁額。
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「興聖寶林禪寺」ですか!

興聖宝林禅寺?!

「典座(てんぞ)教訓」の冒頭にありましたね。

「観音導利興聖寶林禪寺比丘 道元撰」の
「興聖宝林禅寺」ですか。



開基塔のある北の端の高台に上がります。

たくさんのいらか波打つ大きな寺院です。
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曹洞宗の宗祖の道元(1200 ~ 1253)は
28 歳のとき宋から帰朝しています。
34 歳のとき
観音導利興聖宝林禅寺が建立されて
38 歳のときそこで典座教訓を撰しています。

それまでにも
帰朝してから精力的に執筆しています。
6 巻目の著書かも。

典座教訓は
仏家の一切の食事の心得を説いたもの。

仏道修行に
食事のことなんかどうでもいいじゃないかと
軽くみる心を戒めています。

昔より「道心の師僧」や「発心の高士」
早いはなし!高僧たちはみんな典座
すなわち!料理係つとめてきたといいます。
非常に大切な役目ということらしい。

道元は留学前後
京の建仁寺で修行していますが
そこの食事や作法が
「あたかも禽獣の如し」と断定するほど
ひどかったのでしょうね。



ふと!大相撲のちゃんこ番を思い出しました。

相撲の修行にちゃんこ番
すなわち!料理をする必要があるのでしょうか。

プロの野球でもサッカーでも
毎食の料理はしないですからね。

でも!大相撲のちゃんこ番には、、、!?
きっと大変な意味があるのでしょう。

出羽錦忠雄著/土俵の砂が知っている/では
軍隊に召集されて新兵のとき
「相撲取りだからちゃんこ料理を作れ」と命令され
困ったことが書いてありましたが。

その当時のかれの所属した出羽海部屋には
100 数十人の相撲取りがいたので
料理上手の兄弟子が腕を振るい
かれは水汲みや下ごしらえしかしてなかったようです。

それも立派なちゃんこ番には違いありません。



閑話休題。

禅宗ですから
立派な坐禅道場(僧堂)があります。
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今日はお寺の都合で
法堂に座らせてもらいます。

坐禅の前には装身具をはずします。

私の場合いつも
時計もかんざしもなにもつけていないので
靴下を脱ぐだけで簡単ですが
体中にリングの人やアデランス自慢の人や
鼻に豚の骨を刺している人はどうするのでしょう。

入堂は叉手(しゃしゅ)!左足から!
聖僧さまに合掌低頭(ていず)!
隣位問訊(もんじん)!対坐問訊!
坐蒲(ざふ)に座り
坐蒲ごと後ろに向いて面壁(めんぺき)と
付け焼き刃で習って
半分も満足に実行できずに壁に向かいましたが。



足が!あしが!足が!
歩き過ぎて両ひざや足首を痛めているので
組めません。

右足だけを左ももにのせるだけの
できそこないの半跏趺坐(はんかふざ)で瞑想。

私の前には壁がなく
老梅庵(開山堂)と対峙します。
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初めから意図的に
風の通る入り口に座るなんて
こんなときにもズルして
情けない人生ですなぁ。

警策(きょうさく)で打たれなければなりません。

打って!打って!
打たれるの!結構好きかも?!

そんな戯言(ざれごと)は
ハイキングの相棒のアラフォー(around 40)の
お色気年増には通用しても
まじめそうな青年僧の直堂(じきどう=監督)は
阿呆を相手にしてくれませんね。



典座教訓を著した興聖寺は
ここではありませんでした。

京の深草にあったのですね。
応仁の乱(1467)なんかで焼失し
江戸時代になってから
この地に再興したようです。

それだから建造物は
慶安元年(1648)以降建立のものばかりですね。
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琴坂を下って帰ります。

和琴のなだらかな傾きに似ているから琴坂!
という珍説も聞きますが
私はふと
「言(こと)」坂ではないかと思いました。

禅の修行には
むだな「言葉」を慎みます。

しゃべってはいけません。

みずからを戒めて
心をすまして
「言霊(ことだま)」を聞く坂じゃないでしょうか。



(敬称略)
タグ:典座教訓
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多田銀山 さまよう霊魂のゆらぎ [いわなが姫の丑の刻参り]

兵庫県の猪名川町。
「悠久広場」に着きました。
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「レンガ式遺構の復元展示」だそうです。
明治時代の堀家精練所跡。

ここは豊臣秀吉ゆかりの多田銀銅山。

歴史は古い!
平安時代の銅の採掘から始まったそうな。

堀家が採掘しているときには多田堀鉱山。
それから久原鉱業(後の日本鉱業)へ
採掘権が移り
多田鉱山と呼ばれていたのですが
昭和 48 年(1973)に閉山したそうです。



悠久広場の下に
「多田銀銅山 悠久の館」があります。

鉱山道具や鉱石の展示がありました。

悠久の館の裏の川の向こうが銀山代官所跡。
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最盛期には 1 万人の人口だったそうですから
代官所も忙しかったことでしょう。

その代官所の門が
近くの民家に移築されていました。
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柱を切って
低くして建て直しているそうです。



さらに歩いて行けば
川の向こうに古い石垣の一部が残存しています。
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平炉(ひらろ)跡。
どんな炉かも想像だにできませんが。

ぽつんと林の中に神社があります。
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鉱山の神・金山彦神社。

とても古い神社らしい。
創建は銅の採掘が始まった 807 年。
やがて鉱山の町もさびれていき
この鉱山にあった他の 2 社の神社も
ここに合祀(ごうし)されるようになったとか。



そんな長い間には間歩が無数にあったようです。

「間歩」は「まぶ」と読みます。

古今亭志ん生が
「あぶみてぇなつらをしやがって」
といっていたのは
「間夫(まぶ)」ですがね。

その間夫は「愛人」か
「色男」を指すのでしょうけど
「間歩」は坑道でしょうね。
勘違いしてはなりません。
ま!勘違いするのは私くらいでしょうけど。



青木間歩には入れます。
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削岩機で掘った坑道らしい。
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ぎょっ!
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画像に紗(しゃ)がかかります。

よくある鍾乳洞の中とは違い坑道は
湿度 100%と思えるほど蒸し暑いのですが
このときのレンズはくもっていません。
なん度試してもおんなじです。

これは!?
もがき苦しんでいる霊魂からのメッセージ?!

青木間歩には手掘りの跡も残っています。
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江戸時代のものらしい。



霊にとりつかれても構わず先に進みます。
ん?!
川向うから凝視されているような。
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穴!?
水抜き通風穴跡。

山肌が露出しています。
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多田銀銅山大露頭だそうです。

その近くにあるのが台所間歩。

秀吉の時代には産出量が多くて
大坂城の台所
すなわち豊臣家の経済を支えた坑道ですか。

なんですか!
追っても!払っても!小虫が襲ってきます。
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レンズにまとわりついて撮影のじゃまをします。
後で引き返して撮影しますか。



その先の瓢箪(ひょうたん)間歩に行きます。

足利時代からあった間歩。
秀吉の時代に大産出があったので
秀吉が自分の馬印の千成瓢箪をかかげたとか。

坑道の前に立ち入り禁止の鳥居があります。

この鳥居と坑道の間がかすんでいます。
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私の目がかすんでいる訳じゃありません。

画像に撮ってもやっぱり
その空間だけガスのようなものでぼやけます。

これまた!さまよえる霊魂のしわざかな。



台所間歩にもどります。
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やっぱり!虫に囲まれ
レンズを押さえられます。

これもなにかの化身。

カネにまつわることには
迷っているものが多いのかも。

それで気がすむのなら
大いに迷って出てきなさい。



今!灰色の脳細胞でつらつら考えます。

青木間歩内で紗が入ったのは
フラッシュを使ったときだけです。
光が乱反射!?
黄泉の国からのメッセージではないような。

台所間歩の昆虫は
カメラのレンズのミラーに反応?!

最近!著作権問題で話題になった
クロザルの自分撮りに似ているのかも。
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瓢箪間歩の空間のゆらぎは分かりません。

これは!やっぱり!
霊魂のもだえに違いありません。



(敬称略)
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宇治 贅沢なランチプレート [昼定食]

宇治の平等院が見えます。
宇治川の堤から。
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大昔はもっと立派(!)に見えていたような。

ま!私のような不逞の輩に
盗み見されることはないですね!
世界文化遺産ですからね。

平等院表参道に回ります。
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電線がなくなっています。
たぶん!うんと昔になくなっていたと思うのですが
あんまり気にしないで歩いていますね。



宇治橋通り商店街。
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向こうの薬店のビルは大昔の百貨店かな。
宇治で一番の商店街ですから。

ここも電柱が撤去されましたね。

しかし!歩道が狭く!観光客は多く!
くるまが四六時中ひしめいて、、、なんとかせい!



ん?!
「上林(かんばやし)」を名乗る店が多いですね。
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創業 400 年という上林さんの店
創業 450 年という上林さんの店
創業 500 年という店は
屋号に上林がついていても
上林の姓じゃない人が経営していたり。

他にまだあるのかどうか!知りませんが。

上林家は江戸幕府の「御茶壺道中」の
御用茶の宇治の総責任者「茶頭取」ですからね。

ま!御茶壺道中が始まったのは
400 年前の徳川家光のころ?!

フツー!系図は
古いほど怪しいのですが!どうでしょう。



元・百貨店の前の
「宇治創 こころ」に
「選べる 贅沢ランチ 1380 円」という
看板があります。
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いつも見ながら通り過ぎていましたが。
「贅沢」が気になります。

たまには贅沢(ぜいたく)も!
今日は魔が差して
ふらふらと闖入(ちんにゅう)してしまいました。
財布に相談もしないで。



ランチどきには
その「選べる 贅沢ランチ」しかないようです。
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月替わりらしい。

マカロニの和えもの!鶏肉てんぷら!酢のもの!
なすの和えもの!豆腐にだしジュレ!チヂミ!
豚肉の冷しゃぶ!野菜てんぷら!きゅうり漬け!
のプレート。

ごはん!スープ!

野菜サラダには 3 種あるドレッシングから選びます。

食後のスイーツは 6 つある中から
抹茶チーズケーキと
ドリンクは数種の中からパインジュースを選択。
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ごはんはお代わり可だったので、、、しましたよ。
おなかいっぱいになりましたよ。

靴を脱いで上がる席で
上林家の元祖争いのことも忘れて!
ひとごとじゃない!自分の明日の悲しみも考えず!
心ゆるめていただきました。
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