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雪の京都洛北ミニ周遊 [野道!山道!恋はけもの道!]

京阪・出町柳の地下駅から出ると
京都は雪の中。

賀茂大橋から高野川と賀茂川の合流を見れば!
ただ!寒い。
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高野川出口に架かる河合橋の
石の間に暮らしているド根性松も寒かろ。
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河合橋を渡ります。
糺(ただす)ノ森の入り口の
目玉のまっちゃん(尾上松之助 1875 ~ 1926)も
雪をかぶっています。
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雪も風もやんだけど!やっぱりただ寒い糺ノ森。
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糺ノ森の河合神社の境内にある
鴨長明(1155 ~ 1216)の住居
「方丈」も白くなっています。
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方丈記の記述では車 2 両で運べる
組み立て式の便利なハウスだそうですが
どう見ても寒そうですね。

ついでにいいますと
この方丈の周囲に垣がありましたか。
しばらくきていなかったら造っていました。

下鴨神社の御手洗(みたらし)池には
1 羽のサギが禊(みそぎ)をしています。
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土用の丑の日にロウソクを持って身を清めますが
拙ブログ 2012/07/31
冬にそんな行事があれば
すごく「カッコいい」と思うのですが。
サギはエラい!



高野川をさかのぼります。
比叡山がかすんでいます。
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この後すぐ
比叡山は雲に消え
高野川に斜めから雪が降ってきましたが。

雲母(きらら)坂を探し
さらに音羽川沿いに修学院離宮の縁を歩けば
きらら橋。
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ここから比叡山へ山道がつづきます。
が!
遭難しそうな気ばかりが先立つ軟弱なものは
引き返します。

お!いい感じ!
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雪の曼殊院(まんしゅいん)門跡。
花と紅葉で有名な庭園があります。
雪の日もいいでしょうね。

しかし!通り過ぎます。

非常に即物的な性格!
風景なんかは 3 分も見れば十分
早いはなし!飽きてしまいますから
入山料がもったいない!
と思うときには通り過ぎます。



曼殊院横から瓜生山に登ります。
山?!
標高 301m は丘ですよね。
高台から雪景色でも見てみますか。

と浅慮のまま進んだのですが
げ!
すべりやすい道はどこまでも!

正面から雪は降るし!
雪はやんでも枝に積もった雪が風に乗り
やっぱり!正面から吹雪!
しばらく背中で雪を受けながら待ちます。
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ん!?
京都一周トレイルコースの道標が。
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ということは
ここは白鳥山らしい。
雪でよく分かりません。

やがて頂上!
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あれ!?
ここが瓜生山?!
なんか見たことがあるような。

ああ!
狸谷不動の裏山でしたかぁ。
あのとき(拙ブログ 2011/11/04
奥の院を目指して歩いたのですね。
今は瓜生山に行くつもりで登っていたのです。

アプローチが違うので
狸谷不動のことなど
露ほども思っていませんでしたが。
自分がイヤになりますね。



ここから京都一周トレイルコースではなく
狸谷不動下山道もたどらず
南に下れば
「白幽子厳居之蹟」の碑が。
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白幽子(はくゆうし)という
仙人(!)が棲んでいたところ。
16 世紀の終わりから
18 世紀の初めごろのはなしらしい。

白幽子の齢(よわい)は 100 年から 300 年!?
諸説あるようですが。

臨済宗中興の祖・白隠(1685 ~ 1768)が
命の恩人と書き残しているそうですから
実在の人なんでしょう。

それにしても寒い。
鴨長明といい
白幽子といい
昔の人は寒さに強かったのですね。
仙人だからでしょうか。

ただの俗の垢(あか)だらけの阿呆は
遭難しないうちに下山です。
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お化けが食べる恵方巻き [西田辺探検記]

「節分がくる!」

そりゃ!きますよ!貧乏人にも。

「2 月 3 日!月曜日や!」

その前に月末の支払いがくるけど。

「けんかを売るなよ!」
「気が滅入ることばっかりいって!」

地下鉄西田辺駅の近くの
気が遠くなるほど長いことショーバイしているけど
まだ!蔵の建っていない
自称・高級割烹の老店主が怒りだしました。

まぁまぁ!おさめて!こらえてつかぁさい!
そうだろうと思い!作ってきてあげましたよ!
「節分の恵方巻きのポスター」を。

これを店の内外に貼って
しっかり!巻き寿司を巻いて
稼ぎなさいね。



しかし!今どき節分の日には
犬も歩けば恵方巻きにあたる!なんて
そこかしこ!巻き寿司だらけ。
ショーバイに!儲けにならんでしょうが。

「予約を受けた数だけ巻こうかな」

予約する阿呆!あ!いや!奇特な人!います?!

「ま!いないわなぁ」

毎年いっていますでしょ!
よそと差別化をはからなければ!
中華料理店が炒飯(チャーハン)を巻く時代ですよ。
変わり巻き寿司か
うんと安いか!うんと豪華にか。

それとも!
スーパー玉出の 158 円の巻き寿司を買ってきて
200 円で売ったら!?

「おお!手間いらずで!丸儲け!」
「けんかを売っとんのかぁ!プライドが泣くわい!」

プライド!あったの?!



そんなら!
伊勢えび 1 尾!丸ごと入れて巻いたら!

「巻けるかぁ!」

ソフトシェル(脱皮直後の柔らかい殻)の伊勢えびなら?!

「ソフトシェルが手に入るの?!」
「それでいくらで売るの?!」

1 本 2 万円かな。

「だれが買うんや!?」

すみませんね!ここのお客はそうでした。
私でも 1000 円を越える支払いには
徒労感がいや増して!便所の窓から逃げたくなります。
でもね!マスコミに取り上げられて千客万来!?

「よその店には、、、な!」
「今までTVにも新聞にもなん度も出たけど!」
「お客が増えたことは 1 度もない!」



下手の考え休むに似たり
ま!いつもの海鮮巻きでお気ばりやす。

それしか考えられないようだし
できないようですから。

去年も評判よかったじゃないですか。
スナックのAやBやCのママたちには。

どうしてほめるのか分かりますか?!

深夜!酔っぱらったあなたから
法外な料金を巻き上げている人ばかり。
せめて!巻き寿司の 1 本でも買って
「おいしい」とお世辞をいっておかなければ
わずかな良心の呵責(かしゃく)にも
眠れないからですよ!たぶん。

良心的な飲み代しか請求しないママは
「おいしくない!」と
忌憚(きたん)ない意見をのべているでしょ。

「ほ!ほんとかよ~!」

冗談ですよ!半分。

「半分もかよ!」



節分の日に
お化け姿の女性が並んで
一斉に巻き寿司にかぶりつく

上野修三著/なにわ味噺 口福耳福/にありました。

文章の前後から推察すると
昭和41 年(1966)ごろのはなしでしょうか。

すでに
少なくとも水商売の世界では
恵方巻きが一般化していたようです。

お化け姿とは今どきのことばでは
コスプレ(costume play)でしょうか。

大阪では節分の日に
水商売の女性は
普段と違う趣向をこらした姿で
客を迎えたそうな。
鳥追いとか若衆とか
ヅカ(宝塚歌劇)風の男装とか。



「お化け」を復活させて巻き寿司を売ったらいかが。

そうだ!
ゆるキャラ(マスコットキャラクター)の
着ぐるみで寿司を巻いたら売れるかもね。

責任は持てません。
持ちませんが。



(敬称略)
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開平小学校のレリーフ?! [わが街・大阪ブギウギ]

「大阪市立集英小学校跡」とか。
立派な石碑がありますが。
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ここは大阪市中央区
大阪市立開平小学校ですけどね。

ん?!
周囲にめぐらされた塀に
由緒ありそうな趣のあるレリーフが!
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なにを彫っているのか
浅学なものには分かりません。
古代のものでしょうか。
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違うデザインのものがたくさんあります。
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タイルの間にスペースだけ
というより!
レリーフではない
平面の板だけはめこまれたところもあります。
高価な芸術品なので盗まれたのでしょうか。

レリーフのいわれを尋ねてみましたが。
校庭にいた人にも
道行く動く骨董品(失礼!)のような人にも。
だれも知らないとのこと。

「1927」?!
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年号かも。
もし!年号なら昭和 2 年!?
そんなに古代というほどでもありませんね。



あ!?
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「天五に平五 十兵衛横町」の碑もありますね。

「天五」こと天王寺屋五兵衛と
「平五」こと平野屋五兵衛の店があったのです。

昔!レクチャーされた記憶がよみがえりましたが
まったく忘れています。

たしか
2 店はたいそう大きな両替商で
「五兵衛」と「五兵衛」を足せば
ま!足さなくてもいいとは思うのですが
「十兵衛」となり
このあたりを「十兵衛横町」と呼んだのでした。
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四六のガマは家庭内ホームレス [貧乏自慢]

寒い!

わが家は夏涼しくて
冬はもっと涼しい。

ベッドは冷えびえ。

仰ぎ見れば
高空(こうくう)雲なく
寒光(かんこう)千万里(せんばんり)
天風(てんぷう)吹いて
海鳴り
山騒ぎ
乾坤(けんこん)皆 悲壮の鳴(めい)をなす
(徳富蘆花のエッセイの寒月より)

なんてね。



カーテンはボロボロ。
あんまり断熱効果は期待できません。

しめきっていても
サッシの窓枠の水抜きの小さな穴から
木枯らしの赤ちゃんがやってきます。

エアコンはあります!形だけ。
親切な人が設置してくれました。
電気回路の基板がいかれてしまいましたが
取り替えてくれなんて図々しいこともいえません。
厚かましい性格でも。

電気の敷き毛布は断線したので捨てました。
にゃんこでも窮屈なミニミニこたつだけが
唯一の暖房機です。



アウトドアの敷きものの
アルミ断熱シートを窓ガラスに貼りました。
窓用のシートもあるはずなんですが。

さらに窓の前をはじめ
合板を敷いた固いベッドの周囲に
断熱シートをめぐらせました。
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あたたかい!
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平安時代!
ミニ氷河期のような底冷えのする京都で
貴族たちが屏風を立てた中にいるのは
こんな効果をねらっていたのでしょうか。

これに上もシートを置いて
棺桶状態にしたらもっとあたたかいかも。

家庭内ホームレス。はは。

こんな複雑なことをしなくても
ベッドの上に
ひとり用のテントを立てたらいいのかも。



早朝一番の集合があります。

集合場所のランドマークは
私のうるわしい(かどうかは別にして)体ですので
私が遅刻したらみなさんがパニックになりそう。

5 時に起床です。

早く寝ます。

骨董品の目覚まし時計は信頼性が薄い。

私は明るくなったら覚醒しやすい性質。
はやいはなし!
夜が明けたらたいてい目覚めるのですが
窓には二重のシートで陽は入らず
いつまで経っても夜のままです。
それで!天井照明をつけたまま休みます。

なにか変?!
眠れません。
あ!
まぶしいのです。

レフ板!?

写真撮影のレフ板に囲まれたようで
天井照明が反射してギンギラギン!

しかし!照明を消したら
寝過ごすような強迫観念が湧きます。

30 分ごとに目覚めます。

~ん!
四六のガマなら
たら~りたらりと脂(あぶら)を流すところです。



結局!
5 時前に起床して
洗顔して!身支度をして!
みなさんに「起きてね!」とメールして
、、、嫌われました。

地下鉄に乗ったらあたたかい。
急に睡魔に抱擁されて
意識が遠のき
寝入ってしまい!降車駅を通り過ぎるところでした。


(敬称略)
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高麗橋 銀座 銅座 豚汁定食 [昼定食]

高麗橋(大阪市中央区)の東詰に
「大阪銀座跡」の矢印。
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東に 100m ですか。
なんにもありません。
ん!?
ビルの前に小さな石碑。
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  大阪の銀座は慶長 13 年(1608)に置かれ
  生野石見などの産銀を受け取って
  京都の銀座へ送る出店として
  明治維新まで存続した

と刻まれています。

旅に行けば
各地に×× 銀座という商店街によく出くわします。

あれはなんなんですかね。
「銀」を扱っていた場所ではありますまい。
東京の繁華街にあやかって!でしょうか。
安易な命名ではかえって
寂しい!卑屈な思いをしませんか。

そもそも
江戸の銀座もどんな存在だったのでしょうか。
江戸時代が成熟してくると
東の国は「金」本位の経済と聞きましたが。



大坂(大阪)は「銅」の町でもありました。

高麗橋から東横堀川を少し下ったところ
すなわち南に行けば
「住友銅吹所跡」の碑があります。
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「銅吹所」とは銅の精錬ですね。
ちなみに!うしろの建てものは
銅吹所が廃止になった後
明治 12 年(1879)に建てられたビリヤード場とか。



「銅座」もあったのですね。

高麗橋の案内に「銅座の跡」が
矢印は大阪銀座跡とは逆に
すなわち西へ向いています。

700m ですか。
近いですね!見ておきましょう。

てく!テク!てく!テク。
堺筋を横断して。

テク!てく!テク!てく。
御堂筋にぶつかったので
構わず横切って。

西区との境界線
西横堀川の跡まで出てしまいました。

案内が間違っていないですか!



結局!立腹して
きびすを返します。

別に深く知りたい訳でもありませんがね。
銀座も銅座も。

ランチにしましょう。

日本料理「高麗橋 吉兆」があります。
今日は寄るのはやめておきましょう。
もう 2 時近いので
残念ながら昼の営業はおしまいでしょう。

なんてね!
ひとりごとをいってはみますが
2 時じゃなくても
ランチできる訳ないでしょ。
ランチでも 4 ~ 5 万円?!
私の 1 か月の生活費じゃないの。



高麗橋の近くの
「居酒屋 とく兵衛」に
「豚汁定食」の札が揺れていました。
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ここももう時間でしょうけど、、、
入れてくれました。

豚汁定食 650 円。
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私は幕の内弁当のように
ちまちまと種類の多いものが好みなんですが。
この定食には
だし巻きやらししゃもやらちりめんじゃこやら
小さなおかずがたくさん。
うれしいですね。



あああ!
なんにも考えずに銅座を目指して歩きましたが
記憶がよみがえりました。

適塾(緒方洪庵旧宅)と背中合わせに
愛殊幼稚園があります。

その前に
「銅座の跡」の碑があったような。
なん度も撮影していますよ。
バカですねぇ!忘れていたなんて。

これ!
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でも!これは高麗橋の通りじゃないですよ。
ひとつかふたつ北の通り。
あのまま西にまっすぐ歩いても
海まで行っても出会えませんよ。
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