恋の淵 和泉式部の足袋 [いわなが姫の丑の刻参り]
柳田國男の「和泉式部の足袋」によると
和泉式部が生まれたという土地は
肥前の杵島郡を西の端にして
陸中の和賀郡まで
京を除いても全国に 7 か所以上もあるそうな。
肥前の出生伝説では
和泉式部は鹿の子だというのです。
美人で聡明な女性に育ったのですが
鹿の子であるがゆえ
足の指がふたつしかなかった!とか。
そこでいつも足を布でおおっていたそうな。
これが足袋(たび)の始まりだとか。
疑うことなかれ!信じましょう。
それは三河の光明皇后や浄瑠璃御前の
生い立ちの伝説とそっくり!
足袋のはなしも瓜ふたつだそうですよ。
どうして!なん百キロも離れた地に
そっくりな出生秘話があるのか!
和泉式部が晩年を送り
死んだといわれる京都の誠心院は
誓願寺の敷地だったこともあるのですね。
誓願寺は
あの落語の祖といわれる
安楽庵策伝(あんらくあんさくでん1554 ~ 1642)が
住職をしていた寺。
策伝は美濃で出家して
かなり広範囲に歩いて説教したり
各地に寺院を建立したエラい僧侶です。
それで!説話を業として諸国を歩く法師は
この寺によく出入りしていたようです。
その辺にからくりがあるのかも。
柳田は三河の伝説が京都を経由したとき
和泉式部のこととなって
肥前に流れたと決めつけているようです。
ちなみに
策伝著/醒睡笑にも和泉式部の作という
歌がありました。
日の本の名におふとてや照すらん
降らざらばまた天(あめ)が下かは
雨乞いの歌ですがね!
たぶん!彼女の歌ではないでしょう。
あんまりです。
品格がありません!
無責任にいえば
策伝が作った笑話じゃないでしょうか。
でも!この歌が全国に知られていて
この歌の変形もたくさん残っているそうですよ。
それも誓願寺に立ち寄った
法師たちの仕業かもしれません。
足袋のいわれは知りませんでしたが
わが姉?なごんちゃん(清少納言)らの
定子(ていし)グループが追放された後
紫式部なんかと彰子(しょうし)サロンで
長い間わが世の春を謳歌して
数々の恋のうわさを残したことでも有名な和泉式部。
「和泉式部日記」でも読めばいいのでしょうが
数ページ読んだだけで阿呆は飽きて投げ出しますね。
いがらしゆみこが描いた漫画の
「マンガ日本の古典」は最後まで読めましたがね。あは。
ここの恋も年下の帥宮(そちのみや)との
ダブル不倫ですね。
年下が大好きな人ですね。
でも!「和泉式部日記」も
ホントに和泉式部の書いた日記?!
あまりにも
さらさらと!そよ風の中の花びらのような愛欲。
わが子と恋仲になるはなしと同様
後世の作文のような気がしますが。
そんなとりとめのないことを考えながら
和泉式部の呼称になった
和泉の国(大阪府岸和田市あたり)を歩いていたら
「和泉式部 恋の淵」が残っていました。

伝説を作りやすい人なのかも。
ちなみに
和泉式部の墓所は
今は繁華街になっている新京極通りの
誠心院だけだと思ったらいけませぬ。
葬所と伝えられている場所は
柳田國男の知っているだけでも
15 か所はあるとか。
(敬称略)
和泉式部が生まれたという土地は
肥前の杵島郡を西の端にして
陸中の和賀郡まで
京を除いても全国に 7 か所以上もあるそうな。
肥前の出生伝説では
和泉式部は鹿の子だというのです。
美人で聡明な女性に育ったのですが
鹿の子であるがゆえ
足の指がふたつしかなかった!とか。
そこでいつも足を布でおおっていたそうな。
これが足袋(たび)の始まりだとか。
疑うことなかれ!信じましょう。
それは三河の光明皇后や浄瑠璃御前の
生い立ちの伝説とそっくり!
足袋のはなしも瓜ふたつだそうですよ。
どうして!なん百キロも離れた地に
そっくりな出生秘話があるのか!
和泉式部が晩年を送り
死んだといわれる京都の誠心院は
誓願寺の敷地だったこともあるのですね。
誓願寺は
あの落語の祖といわれる
安楽庵策伝(あんらくあんさくでん1554 ~ 1642)が
住職をしていた寺。
策伝は美濃で出家して
かなり広範囲に歩いて説教したり
各地に寺院を建立したエラい僧侶です。
それで!説話を業として諸国を歩く法師は
この寺によく出入りしていたようです。
その辺にからくりがあるのかも。
柳田は三河の伝説が京都を経由したとき
和泉式部のこととなって
肥前に流れたと決めつけているようです。
ちなみに
策伝著/醒睡笑にも和泉式部の作という
歌がありました。
日の本の名におふとてや照すらん
降らざらばまた天(あめ)が下かは
雨乞いの歌ですがね!
たぶん!彼女の歌ではないでしょう。
あんまりです。
品格がありません!
無責任にいえば
策伝が作った笑話じゃないでしょうか。
でも!この歌が全国に知られていて
この歌の変形もたくさん残っているそうですよ。
それも誓願寺に立ち寄った
法師たちの仕業かもしれません。
足袋のいわれは知りませんでしたが
わが姉?なごんちゃん(清少納言)らの
定子(ていし)グループが追放された後
紫式部なんかと彰子(しょうし)サロンで
長い間わが世の春を謳歌して
数々の恋のうわさを残したことでも有名な和泉式部。
「和泉式部日記」でも読めばいいのでしょうが
数ページ読んだだけで阿呆は飽きて投げ出しますね。
いがらしゆみこが描いた漫画の
「マンガ日本の古典」は最後まで読めましたがね。あは。
ここの恋も年下の帥宮(そちのみや)との
ダブル不倫ですね。
年下が大好きな人ですね。
でも!「和泉式部日記」も
ホントに和泉式部の書いた日記?!
あまりにも
さらさらと!そよ風の中の花びらのような愛欲。
わが子と恋仲になるはなしと同様
後世の作文のような気がしますが。
そんなとりとめのないことを考えながら
和泉式部の呼称になった
和泉の国(大阪府岸和田市あたり)を歩いていたら
「和泉式部 恋の淵」が残っていました。

伝説を作りやすい人なのかも。
ちなみに
和泉式部の墓所は
今は繁華街になっている新京極通りの
誠心院だけだと思ったらいけませぬ。
葬所と伝えられている場所は
柳田國男の知っているだけでも
15 か所はあるとか。
(敬称略)
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